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2021.03.03(2021.03.10 更新)

【東日本大震災から10年】防潮堤で固められた自然と共生する町の行方(宮城県・南三陸町)

読み物

専門度:専門度3

▲復興工事の進む南三陸町。

テーマ:森林保全防潮堤・護岸

フィールド:森林湾岸

宮城県南三陸町では志津川湾の海岸に高さ8.7m前後の防潮堤が建設され、さらに町の中心を流れる八幡川など主だった河川の両岸もコンクリートで固められました。

来年には終わる工事を前に、この地の自然を見続けてきた南三陸ネイチャーセンター友の会の鈴木卓也会長(自然観察指導員)にお話を聞きました。


お話をお聞きしたのは、この人

鈴木卓也さん
南三陸ネイチャーセンター友の会会長。
南三陸の自然の魅力を発信しつつ、イヌワシやコクガンの保全活動にも尽力。NACS-J自然観察指導員。

 

自然に寄り添う復興目標と、巨大な防潮堤

▲大盤平から飛ばしたドローンで見下ろす南三陸町の全景。町の面積の8割が森林という豊かな自然環境が伺える。海と川と山がとても近い(写真=南三陸町自然環境活用センター)。

2018年、ラムサール条約登録湿地となった志津川湾を擁する南三陸町。その震災復興基本方針には三つの目標が掲げられている。「安心して暮らし続けられるまちづくり」と「なりわいと賑わいのまちづくり」に並び、もう一つは「自然と共生するまちづくり」だ。説明文にはこう書かれている。

「私たちは山々に守られた海から多大な恩恵を授かってこの地に住み続けてきました。しかし、その自然は時に猛威をふるって私たちを苦しめます。私たちは、自然への畏怖畏敬の念を忘れることなく風土・文化を後世に継承し、この豊穣の海と山からの恵みに感謝しながら、自然と共生するまちづくりを進めます」

震災から10年を経た現在、志津川湾の海岸と町の中心を流れる八幡川には過剰とも思える巨大な防潮堤が完成しつつある。ドローンによる俯瞰映像がYouTubeにアップされているが、百年に一度の津波を防ぐためのコンクリート建造物は、あまりにも白くまぶしい。

津波が襲った旧居住域は震災直後に「災害危険区域」と区分けされ、山を崩して造成した高台に居住地を移転する方針は、比較的早くに決まっていた。ならば住居を建てることが禁じられた旧居住区の低い土地の一部は、このまま自然に戻したら? という意見もあった。というのも津波後、自然が目を見張る変化を遂げつつあったからだ。

「海岸沿いの集落の多くは、かつては砂浜や湿地、あるいは海そのものでした。そこが津波でかく乱されたことで、1年ほどでこれまで見たことがなかったレベルに生物の多様性が高まりました。田んぼとして整備されていた場所で休眠していた湿地性のミズアオイ(環境省レッドリストの準絶滅危惧種)などの湿生植物が、あたり一面で一斉に芽吹いたりして驚かされました」

この地で生まれ育ち、この地の自然観察を長年続けている「南三陸ネイチャーセンター友の会」の鈴木卓也会長は、当時の驚きを振り返る。

「自然にとってはこれほどの津波ですら織り込み済みなのかと。かつての市街地で干潟となった場所にはシギ・チドリが飛来し、海や川につながる湿地にはウナギなどいろいろな魚が入ってきました。住居を高台に移転するのならば、人の住まない旧市街地はこのまま海と陸の間をつなぐバッファゾーンとしたっていいんじゃないか? そのような形の防災・減災もあるんじゃないか? そんな議論が地域の人たちの間に出始めた最中、寝耳に水のような形で巨大な防潮堤計画が国や県から降りてきたんです」

危機感を抱いた住民有志による話し合いが始まった。2年間にわたる交渉の末、わずかに八幡川河口の右岸にある松原公園跡の海岸を残すセットバック案だけが認められた。松原公園はチリ津波(昭和35年)の後に埋め立てられた土地で、今回の津波でえぐられて入り江となっていた。そこにさまざまなな生き物が姿を現し始めていたのだ。

「松原公園跡は震災以前の記憶をたどれる場所として残したいと地元・上山八幡神社の神職の方が中心となって県との間で協議を重ね、なんとか認められました。しかし結局、防潮堤建設は十分に議論されたとは言い難い形で動き出してしまいました」

2015年に工事開始。以来、町には連日ダンプカーが走り、人は海岸や川辺に近寄れなくなった。

▲2020年4月の八幡川河口域。赤い点線の囲みは松原海岸(写真:南三陸町自然環境活用センター)。

▲防潮堤がセットバックされ、残された松原公園跡の海岸。少しずつ自然が戻ってきている。(写真:南三陸ネイチャーセンター友の会)。

自然と共生する暮らしへの動き

その一方、震災を機に志津川の豊かな自然を再認識する動きもあった。一つは持続可能な林業に関する国際認証であるFSCを2015年に取得したことだ。

「南三陸町は町の面積の8割が森林です。山から川を通じて海まで続く自然がコンパクトにまとまった町として、山の資源が再確認されたんです。海岸は震災でやられてしまったけど山は残っている。ならばこれを活かさない手はないというわけです」

若き林業経営者の佐藤太一さんが、生物多様性と両立する林業を目指し、皆伐と植林を計画的に繰り返す法正林化にFSC認証林の一部を転換した。皆伐でできた空間は町の鳥であるイヌワシの狩り場になる。震災を機に「イヌワシと共生できる林業」が始まり、群馬県みなかみ町でイヌワシ保全活動を行うNACS-Jとも連携を取った。

また、戸倉地区の海では過密養殖で育ちが悪く出荷まで3年かかっていたカキ棚の密度を3分の1に減らしたことで1年で出荷できるようになり質が向上。養殖漁業の国際認証であるASCを取得し、「戸倉っこかき」としてブランド化された。結果として労働環境も向上し、次世代の担い手も増えているという。そして2018年には志津川湾が、多様性に富んだ藻場と希少な水鳥コクガンの越冬地であることが評価されラムサール条約登録湿地になった。藻場としては国内初の登録地となる。南三陸の豊かな自然は十分に答えをくれているようだ。

「10年かかりましたが工事はもう終わります。楽しみはこれから。探鳥会や磯観察など、自然や生き物の観察に加え、防災や歴史までいいことも悪いこともひっくるめて伝えていきます。そのためにも松原海岸を残せたことの意義は大きいし、これからますます大きくなると思いますよ」

▲南三陸町自然環境活用センター(愛称「南三陸ネイチャーセンター」)。三陸海岸の自然や生き物の情報が集まる発信拠点。展示のほか自然体験のワークショップや自然学習セミナーなども行われている。

▲ヤブと化した山の火防線跡を刈り払う作業も進めている。開けた空間はイヌワシの狩り場にもなる(写真=南三陸ネイチャーセンター友の会)。

▲志津川湾戸倉地区のカキ養殖棚。「戸倉っこかき」としてASC認証を受けブランド化している(写真=南三陸町自然環境活用センター)。

▲防潮堤の前に群れる国の天然記念物コクガン。復興工事下でも渡来数は増えつつあり、2020~2021シーズンは志津川湾全体で400羽前後が越冬した。

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