


金田平(1929-2007)
横浜生まれ。東京高等師範学校 理科三部・動物科卒業ののち、神奈川県立高等学校教員。1955年、柴田敏隆氏と「三浦半島自然保護の会」を設立。日本自然保護協会理事、自然観察指導員講習会講師、神奈川県立自然保護センター嘱託のほか、東京工科専門学校講師、横浜国大・中央大非常勤講師、日本環境教育学会運営委員、(財)日本野鳥の会、(財)日本鳥類保護連盟、全国自然保護連合などの役員を歴任、政府や自治体の審議会・委員会での助言など、一貫して自然保護運動と自然保護教育運動に関わった。
自然を守るために自然観察会を開きたい
~自然観察指導員生みの親の一人~
金田平(1929-2007)からのメッセージ
日本自然保護協会が自然観察会を自然保護教育の手段として位置づけ、その普及のための指導員養成に踏み切ったのは1978年でした。なぜ、この時代に自然観察指導員が誕生したのか、生みの親の一人、金田平さんの記録から探ります。
(講習会テキスト『自然観察からはじまる自然保護』 1993年版、2002年版より)
指導員のルーツ
私は学生のときに、横浜生物学会が行っていた観察会に参加していましたが、そこでの楽しかった経験が無意識のうちにベースになっているように思います。長靴はいて、海岸に行ったり、原っぱへ行ったり、川へ行ったり、とても楽しかった。とても勉強になって楽しかった。ただ一生懸命勉強するというのではなくて、一流の先生が来て、ちらりほらりとくれる情報が全部、目新しくて。当時科学博物館では採集会をやっていましたが、それは本当に勉強という感じがしました。だから自然観察指導員講習会の中でも観察会は理科の勉強ではないんだということを意識的に押さえたいのです。
自然観察会と自然愛好会の違い
「名前を知らなければ親しめない。名前を知るためには採集が必要だ」というのが、分類学・系統学・形態学中心の生物学の手段でした。こうした中で自然保護のための自然認識には分類学・系統学・形態学の知識はさして重要ではなく、捕まえて正確な種名の識別をするよりも、むしろ採らずに自然の中で生きものがどうやってくらしているかを見よう、見せようと呼びかけました。
1970年代当時、いろいろな省庁が、野外活動の指導員養成を計画し、ライセンスを出そうとの動きがありました。また地方行政が自然観察会を計画してその指導者に自然愛好者を起用したのですが、それが自然保護につながらないものも多かったのです。
自然保護へつなげる自然観察
その頃NACS-Jでは、各地の自然保護運動をやっている人たちとのセミナーが頻繁に行われていましたが、その中でかなりの部分を占めていたテーマが自然保護教育でした。いくつかの自然観察会を運動としてやっているグループの間で、技術交換の意見が多くあり、私たちとしても自然観察会をどういうふうにやるのがいいんだろうかということを盛んに話題にしていました。また、地域の自然保護問題にぶつかり、地域住民に対してその自然の価値を伝えたいという地域NGOの支援が、指導員養成講習会発足の大きな目的でもありました。ですから観察会が自然保護問題につながることを常に意識してきました。
例えば、野外活動が盛んになり清掃登山が流行しましたが、「ゴミは拾えばよい」のではなく、「ゴミが自然に与える影響を自然観察の対象とする」ことによって、ゴミを捨てる行為に問題意識を持たせるという行動をとりました。自然公園のオーバーユース(過剰利用)問題では、遊歩道の管理を取り上げ観察対象としてきました。
私たちの行ってきた自然観察会を地域住民とともにすすめて、自分たちの暮らすところの自然環境を見つめ、それをよりよく残す知恵を出し合うことを続けましょう。今、政府の動き、地方自治体の姿勢に自然保護は大きくかかわるという現実があります。マスコミ対策や担当行政との付き合いも大事です。自然観察会が「楽しければよい」ですまない理由はここにあるのです。






