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自然を知るWEBマガジン「知ろう、自然のこと。」会報「自然保護」電子版

森とシカと日本人

古くは縄文時代から、日本人はシカを利用し、シカから被害を受け、森にすむシカと長い年月を過ごしてきました。時代の移り変わりとともに変容してきたシカと日本人のかかわりを、シカ研究者の高槻成紀さんに伺います。

話を聞いた人

高槻先生の顔写真

高槻 成紀 (たかつき せいき)理学博士

各地でニホンジカをはじめとする野生動物の研究に取り組む。麻布大学獣医学部教授を経て、現在は麻布大学いのちの博物館上席学芸員。主な著書に『シカ問題を考える バランスを崩した自然の行方』(山と渓谷社)、『野生動物と共存できるか-保全生態学入門』(岩波書店)など

縄文時代から日本人はシカを利用していた

シカの石碑と草を食む鹿の画像

[左]奥大井の田代諏訪神社に祀られたシカの石碑(角が折れてしまっているが蹄が見られる)。他にも神様の使いとして各地で祀られていた跡が残っている[右]シカは大食。その習性ゆえに、人間社会に与えてきた影響は大きい。そしてシカは今、自然植生の破壊をも引き起こしている

日本の森には人よりも先にシカがすんでいました。縄文遺跡からはほぼ例外なくシカやイノシシの骨が出てくることが知られており、この時代から、人がシカを利用していたことが分かります。ただし、シカを捕まえるのはそう簡単なことではありません。シカは警戒心の強い動物ですから、接近は難しく、単純な弓では致死的なダメージを与えることもできません。その時代、一番有効だったのは、シカの動きを予測して地面に落とし穴を掘っておいて、そこに追い込み穴に落とすという方法でしょう。シカが捕れたら人々は大喜びしたに違いありません。この時代、シカは得がたい資源としてとらえられていたはずです。

その後、発達の程度はさまざまですが、農耕の時代になります。地形が複雑で降水量が多い日本列島では、山ふところの谷間に田んぼをつくるのが一般的でした。これを「谷津田」と言います。谷津田は両側を尾根で挟まれており、そこには林があります。田んぼが広がる場所にはシカなどの野生動物は警戒して出てきませんでしたが、谷津田のように林が接している田んぼでは、シカやイノシシが農作物を食べにくる危険がありました。武器もない農民は、さまざまな工夫をして被害を防ぎましたが、なかなかうまくいかず、江戸時代には「シカやイノシシを銃で撃ち殺してほしい」という嘆願書が残されています。「シシ垣」という土塁も残されており、大規模な被害対策が試みられたことが分かります。

谷津田の画像

山に挟まれた「谷津田」。山や森と隣接するため、シカはしばしば人間のつくる農作物目当てに姿を現した

このように農耕時代には、シカは農作物を荒らす迷惑な動物ととらえられていました。農民にとって丹精込めてつくった農作物が動物に食べられてしまうのは深刻なことですから、ネズミやシカ、イノシシは憎悪の対象でした。その結果、ネズミを食べるキツネや、シカやイノシシを襲うオオカミは人間の仲間、あるいは協力者として好意を持たれました。オオカミの場合は好意というよりも畏敬に近い感覚と思われます。キツネが稲荷神社に、オオカミが三峯神社のような神社に祀られたのはそのことを示しています。

もっとも、「神鹿」とされた面もあります。それはシカは姿が美しく、すばらしい速さで走ることができ、また、雄ジカは立派な角を持ち、それが毎年生え変わることから再生力のある動物として霊力を感じたものと思われます。当時の農民がシカを憎んでいたことは想像できますが、シカを地上からいなくしてしまうという考えはなく「田畑に出てくるのは困るが、山にはシカを含めさまざまな動物がいるものだ」と思っていたのではないでしょうか。

明治維新以降、農民でも銃が持てるようになると、シカをはじめ野生動物を徹底的に捕獲するようになりました。狩猟には時代ごとに規制もかけられていましたが、監視の目が届かない山村では密猟も珍しいことではなかったと察せられます。現金収入が限られていた当時の農山村の農民にとって、野生動物の毛皮はありがたい収入源になりました。こうして日本の農山村から野生動物は少なくなりました。

このような背景があったため、太平洋戦争後の日本各地における県レベルでの野生動物対策は、基本的に「絶滅回避するための保護策」でした。現実にニホンカモシカは絶滅が危惧されて天然記念物に指定され、ニホンジカも多くの県で保護獣とされました。

保護策の効果が実り、減少に歯止めがかかりました。1980年ごろにはすでに各地でシカの農林業被害が発生しはじめていましたが、その時にも多くの県の対応はそれまでと変わらない「保護策」でした。このため地元の農林業関係者と県の担当者との間で齟齬が生まれるようになりました。
1990年ごろには被害が顕著となり、行政も重い腰を上げるようになりましたが、ほとんどの場合が手遅れ状態でした。つまり、個体数管理をするにもハンター数の減少と高齢化により、機動力をなくしていたのです。

シカ問題は農林業被害を超えて山自体の荒廃へ

シカが増加するにつれて、シカ問題は農林業問題を超えて、自然植生の維持が損なわれるというレベルにまで達する場所が多くなりました。しかも影響は予想していなかった高山帯にもおよび、高山植物が失われる場所も出てきました。植生研究者が2010年に行ったアンケート調査では、特に西日本と東日本の太平洋側に「激甚」被害、つまり「植生が貧弱になり、土砂崩れさえ起きる」場所が多くあることが分かりました。

一方、この半世紀で農山村の人口減少と都市人口の増加が進み、シカに対する意識も ”農林業の害獣” という見方は少数の農林業関係者のものとなり、多数派である都市住民には実感のないものとなりつつあります。そのためシカに対してどうすべきかについても、さまざまな見解があります。

シカは美しく、優しそうな外見の動物ですから、シカを殺すなどとんでもないという声も多くあります。一方で農林業に被害が出ているのなら、関係者が積極的に駆除すべきだという意見もあります。都市住民は日常生活でシカを目にすることがありませんから、シカ問題は他人事になりがちです。しかし、例えばシカによって山が荒廃すれば、水の確保にも問題が生じるという意味で、都市住民の生活にも影響します。決して他人事ではありません。

このように「シカ問題」は農林業のあり方に直結しながら、日本社会全体の問題でもあり、多数派を占めるようになった都市住民に現状を知ってもらうことから始めなければならないと思います。その意味ではシカ問題は自然保護シーンにおいても難問に直面していると言えるでしょう。

〈 シカと人とのかかわり 〉

  • 縄文時代(約1500年前~約2300年前)
    有史以前よりシカの肉や毛皮・骨角などは重要な資源として利用されてきた。
  • 弥生時代以降(約2300年前~)
    資源として利用され続けるかたわら、農耕の発展とともに農作物を荒らす迷惑な存在に。一方で「神鹿」など信仰の対象ともされていく。
  • 江戸時代(1603年~)
    農業活動とのあつれきが増大。作物被害を減らすために全国的にシシ垣による対策が取られていく。
  • 明治時代以降(1868年~)
    政府の許可が下り農民等が銃を所持できるようになり、農林業被害抑制と同時に肉や毛皮などを販売する目的で大量に捕獲。シカは数を大幅に減らしていく。
  • 昭和23年以降(1948年~)
    雌ジカが狩猟獣から除外されたのをはじめ、各県では、減りすぎたシカの保護政策が取られていく。
  • 昭和53年(1978年)
    環境庁(当時)により雄ジカの捕獲数が1日1頭に制限される。農林業への被害は顕在化しはじめるが、多くの県では保護策が続けられる。
  • 昭和55年以降(1980年代~)
    シカは増え続け、農林業への被害や自然植生への影響が深刻なレベルに達する。
  • 平成2年以降(1990年代~)
    保護策から管理策へと重心を移していくが、シカの数はすでにコントロールしきれないほどに増えてしまっていた。

シカ問題に近づくために

シカ問題は、地方だけの問題ではありません。
考えて答えを出していくために、自分の地域や出かけた先のフィールドでシカがいるかどうかを観察し記録する、ということも重要です。

シカのフィールドサインを知っておこう

フン

シカのフンは暗褐色や黒色で大きさは長径が15mm前後の俵型。カモシカととても似ていて区別が難しいです。ただ、シカは歩きながら、カモシカは立ち止まってフンをすることが多いため、カモシカのフンは多くの場合、一カ所に固まる「ためフン」となります。

シカのふんの画像

食痕

シカとカモシカは、上顎の前歯がないため、両顎で挟んで引きちぎったような痕跡になります。立ち上がって食べることもあるため、2mほどの高さまで見られます。

食いちぎられた草の画像

足跡

同じ森にすむシカ、カモシカ、イノシシはすべて偶蹄目なので、ふたつ並んだ蹄(ひづめ)の跡が目印です。シカのほうが、カモシカに比べそれぞれの蹄がやや細めなのが特徴です。イノシシは副蹄の跡がつきやすく、そこが判別の目安です。

雪の上の足跡の画像
シカ、カモシカ、イノシシ の足跡のイラスト画像

樹皮剥ぎ

シカに樹皮を剥がされた幹や枝はつるっとしているか、下顎の歯による、まるでノミで削ったような跡が残されます。(写真はキハダ)

皮が剥がれた樹木の画像

角研ぎ

雄ジカは発情期になると角を木の幹にこすりつける行動を行います。それにより、縦に長く切り裂いたような傷跡が残っています。

爪痕のような傷がついた樹木の画像

シカと人これからに向けて

COLUMN

人とシカのかかわりは、時代によって移り変わり、貴重な食料であり、畏敬の対象であり、農林業にとって大変な厄介者でありました。一方、戦後しばらくは、シカは減りすぎ、保護の対象でした。シカの数が減ったことで農林業への被害など人間社会とのかかわりも薄くなり、遠い存在となりました。人とシカの長い歴史の中でもこの時期が特殊だったとも言えると思います。

しかし今、シカが急激に増加したことにより、改めて今後どうシカと付き合っていくか、考えなくてはならない時代に来ています。それは、シカを見かけることも少ない都市部の住民も同様です。シカが引き起こす水源への影響は都市住民の飲み水への影響や土砂災害、洪水などにもつながります。また、シカにより引き起こされた被害の対策や復元などへも多額の税金が使われています。間接的にでも皆さんに影響するシカ。これからのシカと人のかかわりについて、皆さんも考えてみませんか?

松井宏宇(日本自然保護協会)