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2018.01.22(2018.02.26 更新)

能の世界と日本の自然

読み物

専門度:専門度1

東川光夫さん 宝生流能楽師。高校生のころ能面に魅せられ能楽の世界に入る。能の道具に詳しく、さまざまな道具の製作に携わっている。

テーマ:絶滅危惧種伝統文化

クマタカやイヌワシの羽でつくった羽団扇を使用している「能」は、650年もの時を超えて舞い継がれてきた伝統芸能。継承されている演劇としては世界最古とも言われユネスコの世界無形文化遺産にも登録されていますが、今、羽団扇などの道具が修復困難になりつつあり、その継承が心配されています。能の道具事情と、能の中に見る日本の自然・風土とのかかわりを、宝生流の能楽師、東川光夫さんに伺います。


天狗の神通力を感じさせる大事な道具

──天狗役を演じる際に使う「羽団扇」の羽根が入手できなくなっていると伺いました。宝生流の天狗の羽団扇は、どのようなものですか?

今、宝生流には8本の羽団扇があります※。能の演目『鞍馬天狗』の特殊演出(「小書き」と言います)『別習白頭』では8人の天狗が登場し、その際にはこの羽団扇がすべて使われ、ほかにもいろいろな天狗が登場する演目で使われます。(※能楽ではいくつかの流派に分かれており、流派ごとに装束や道具などを管理している。宝生流では、家元が全体の道具を管理している。)

羽団扇の種類は2種類あって、イヌワシの幼鳥の尾羽と思われる白いものと、クマタカの尾羽だと思われるシマシマのもの。白い羽団扇のほうが格が高く、位が高い天狗の役だけに使います。能で使う小道具の中ではサイズが大きく、動かすとアクションがとても大きく見えて、本当に天狗が風を起こすかのようです。先人はこういったもので神通力を持つ天狗の効果を上げたんですね。天狗が持つならこれしかないだろうと私も思うのですが、この羽根が、もう入手できません。

 

▲2種類の羽団扇。尾羽の数と同じ12枚で1セットとなるが、白い羽団扇は1枚失われ11枚となっている。羽団扇を投げる演目もあるが、練習中に折れないように本物を投げるのは本番だけ。横向きでフリスビーのように投げると、羽の浮力で軽やかにすーっと飛んでいくという。羽のつややかさや軽さ、浮力はほかの材料では得られない。

 

▲左:イヌワシ幼鳥(撮影:松井睦子)、右:クマタカ

 

今私たちが使っているものは、江戸時代からずっと使い続けてきたものです。白い羽根は、実は1本足りていません。予備の羽根が2枚ありますが、一羽の尾羽でないと同じ模様にならないので、予備の羽根だとやっぱりおかしくて、使っていません。

江戸時代にはイヌワシなどもたくさんいたのでしょうね。これがなければ天狗の能ができないわけですから、何とか新しい羽根を入手したいですが……、いかんせん、鳥が減って入手できないので、仕方ないですね。ほかの流派に聞いてみたら、あきらめて七面鳥など別の鳥の羽根で代用していたり、手に持たず腰に差すだけの場合は紙でつくったものを使っているという話でした。

 

 

鯨のひげ、代わりはグラスファイバー?

同じく修復が危うい道具が、『阿漕』という演目で使う四つ手網です。魚を獲る網を模した小道具で、漁師役がこれを肩に乗せて出て来るんですが、その時にしなりが必要なんです。また、最後に網の持ち手の端を踏んで網を引っ張る型※があるのですが、持ち手がしっかりしならなくてはこの型ができません。(※「型」は身体の動きを様式化した能における基本的な動作。さまざまな細かい型の連なりで能は演じられている。)

このしなりをだすために、丈夫で弾力性がある鯨のひげを使っています。竹だと折れちゃうんです。今では、鯨のひげそのものだけでなく、加工する技術的な面からも修復が難しくなっています。これも江戸時代からずっと使っていますが、もし折れてしまったら、次はグラスファイバーなどでつくるしかないかもしれませんね。

鯨のひげは、舞台で着る裃にも使われていました。張りと柔軟性がちょうど良いのですが、今はぜいたくを言えませんので、竹を使っています。

 

▲『阿漕』で使用する四つ手網。鯨のひげでつくられた持ち手がしっかりとしなる。

 

▲舞台で着用する裃。今は竹を使っているが、鯨のひげのようにはしならないため布が破れやすい。

 

ゴイサギの名の由来は……

──かつては自然の中から手に入れられたものが、今はなくなってしまったのですね。ほかにも、自然のものを使う道具などはありますか?

能では、写実的な大道具や舞台装置などを使いません。唯一舞台に置いて大道具的な役割を果たす「作り物」はとてもシンプルなもので、公演のたびに組み上げます。

竹を組んだ上に生木のサカキを挿すことが多く、そこに演目によって、紅葉を付ければ紅葉狩り、柳の枝を吊るせば柳の木を表します。サカキを使っているのは、手近にあって入手しやすかったからではないでしょうか。モチノキでもいいんです。作り物が竹でつくられているのは、日本中どこに行っても竹はあるだろうということで、旅興業に行っても現地調達できるように身近な植物を使っていたのだと思います。

『井筒』という演目では井戸を表す作り物にススキを添えます。井戸の枠だけではなくそこにススキがあることで、情緒が全然違います。あれを付けた人は天才ですね。途中は一切ススキに触らず、最後にススキをすっとかき分けて、井戸をのぞく時にだけ触るんですけど、ガサガサッとなるところが、すごく視覚的にも音的にもいいですね。造花を使うこともありますが、尾花の開き具合などが本物にはかないません。

▲能『井筒』。演目の中の「ひとむらずすき」という台詞にちなんで、作り物にススキを添える。 ※出典:国立国会図書館デジタルコレクション/耕漁(1898)『能樂圖繪 前編下』

 

本物じゃないとダメなときって、ありますね。以前私は、『枕慈童』で舞台に置く台に付ける24本の菊を、造花ではなく本物でやってみました。そしたら台に乗った時にね、菊の香りがするんですよ。これはやっぱり格別でした。昔はみんな、本物でやっていたのでしょうね。

動物を演じる役としては、『鷺』などがあります。この役は、人間臭さが出てはいけないので元服前の子どもか還暦過ぎた人間しか演じることができません。頭にこの鷺冠を載せ全身真っ白な装束で舞う神聖な演目です。天皇に追われたサギが、天皇の呼びかけに応えて天皇の前に舞い戻ったことから五位の位を与えられたというお話で、これがゴイサギの名前の由来だとも言われています。ほかにもキツネの精や、柳の精など、動植物の精霊を演じることもあります。

▲『鷺』で使用する鷺冠。こちらも江戸時代につくられたもので、体は木製。頭には冠羽を模して本物の羽根が差し込まれているが、写真のものは羽根が途中で折れてしまっている。宝生流ではほかにも2つ鷺冠があるが、残りの2つは羽根そのものが紛失しており、代替の羽根を探している。

 

▲キツネの精を演じる際に使うきつねのかぶり物。これは東川さんが先代のものを真似て作成した。かつては紙や軽い木材などでつくられていたが、今回は軽くて丈夫なイラストボードを使用。新たな素材も使いながら、道具は継承されている。

 

──動物などを演じる時には、役づくりはするのですか?

能では、あまり役づくりをしません。キツネの精だからキツネの気持ちでやることはないんです。動きも型で決まってるので、キツネの動きを真似ることはありません。むしろ、役になりきってはいけないと言われているんです。あくまでも自分は自分のまま演じる。そうすると、自分の内面が役に現れてきます。

能はとにかく抽象的に、余計なものをみんなとって、そのエキスだけを見せる芸能です。抽象的に見せるものだからこそ、天狗やキツネの精のような誰も見たことのないものや、自然そのものの大きさを取り込むことができるのではないでしょうか。

 

能舞台にはなぜ必ず老松が描かれる?

能舞台の背景(鏡板)に老松が描かれる理由は諸説ありますが、よくあるのが神様が降りてくるという奈良の春日大社の「影向(ようごう)の松」を描いたという説。それに加え、私は、松は長寿で常に緑をつけていることから「変わらないもの」の代表として描かれているのではないかと思います。長寿で変わらないということはめでたいことで、松は芸能の中では別格の扱いです。また、松は日本中にあるので、どんな演目の背景でもおかしくありません。日本の自然の代表として松が描かれているのだと思います。

 

能の主役はほとんど亡霊

──抽象的な舞台に自然そのものを投影する想像力が、日本人には共有されてきたのですね。能は、精霊や亡霊のような「誰も見たことがないもの」が主人公になることが多いですが、何か理由があるのでしょうか?

能の主人公のほとんどが亡霊だというのは重要なポイントです。能らしい能が何かというと、能の大成者である世阿弥がつくり出した「複式夢幻能」というものです。前半と後半に分かれ、前半は何かの精霊や亡霊が実際に見える形で出てきて、後半はその霊そのものが出てくるという構成です。

なぜ亡霊かというと、亡霊は死んだときのまま変わらないんですよ。精霊も変わらない。だから誰かが呼べば、時を超えて常に同じ姿で出てきます。百年たっても千年たっても同じように扱えることを利用して、見えないものを舞台に引っ張ってきたわけです。能の根本はこの、「目に見えないもの舞台に出す」というところにあるんです。

例えば、鬼。鬼はもともと「隠」で、隠れて見えないものを指しています。昔の人は疫病が流行っても神様に祈るしかなかった。だから、多くの日本の芸能は、見えないものに対して、どうか来ないでくださいとか、見える形にしてやっつけようとか、そう言う「祈り」を基に発達してきました。

『大江山』という演目は、酒呑童子という京都の北の山にいて時々人を襲う鬼をやっつける話しですが、鬼が本当にいたかどうかは別として、都の人びとは、時々、突然人が死んだりいなくなってしまうことがとても怖かった。だから見えない怖いものを鬼という形にして舞台に出して退治するわけです。そして、これで大丈夫、これでもう鬼は来ない、と思うようにした。これも、祈りですね。

 

はじめが神様で最後が鬼

──能は日本の風土の中に生きてきた人びとの祈りの芸能だったのですね。

そうですね。それをよく表すものとして、『翁』という演目があります。
能の演目は大きく5種類に分けられ、種類によって演じる順番が決まっています。最初に演じるものの代表が『翁』です。
年の始めに村の長老が「今年は五穀豊穣で作物がいっぱい取れるぞ」と言うと、村人は「ありがたい、ありがたい」と言う。

毎年の天候に非常に左右される農耕民族の日本人は、春、「今年は適当な雨や日照りがあるぞ」と言ってもらうと、それが実現したらいいな、と思う。それがまさに祈りですよね。その祈りを一身に受けるのが翁なんですよ。ひとつの儀式なんです。それが能のスタートです。そして最後に演じるのが、鬼をやっつける演目。はじめが神様で最後に鬼。だから、実はあとのものは娯楽で、能役者が人々を喜ばせるためにつくったものです。でも、始めと終わりに祈りの演目が入っているから、全体としてひとつの大きな祈りの芸能になっているんです。日本の自然にはぐくまれた風土の中に生きる人びとの、祈りやお祭りの行事を反映したものなのですね。

 

▲能『翁』。役者が舞台の上で面をつける特殊な演目で、面を付けたら神様になり、終わったら面を外し人に戻って舞台を下りる。能の中でも特に儀式的な演目。 ※出典:国立国会図書館デジタルコレクション/耕漁(1898)『能樂圖繪 前編下』

 

初心者にオススメの演目は?

動きがあって話が分かりやすいものは『土蜘』や鬼が登場する演目ですね。『鞍馬天狗』もお馴染みの牛若丸が登場して親しみやすいです。能らしい能としては、主役の感情が分かりやすい『葵上』や『井筒』などがおすすめです。退屈なところもあるかもしれませんが、少しくらいは寝ても大丈夫。夢現で見る能はこの世のものと思えないほど美しいですよ。何かひとつ、興味を持って帰ってください。あらすじは事前に確認しておきましょう。

 

「『自然保護』No.561 2018年1・2月号 特集:天狗の羽団扇」より転載

(インタビュー・まとめ:増沢有葉/日本自然保護協会 編集室、取材協力:宝生会)

 

東川さんの公演情報

国立能楽堂3月普及公演    『墨塗・船橋』

日時:2018年3月10日(土)13:00~
場所:国立能楽堂(東京都渋谷区)
演目:狂言『墨塗』、能『船橋』
申し込み・詳細:国立能楽堂ウェブサイト(http://www.ntj.jac.go.jp/nou.html)から

関連イベント <3月18日@多摩動物公園>

【動物園×伝統芸能×NGO】
日本の伝統文化のなかに生きる動物たち

日本の伝統芸能である能や歌舞伎、また郷土芸能のなかには、さまざまな動物たちが登場します。そこで使われる小道具にもイヌワシの羽など動物の体の一部が使われています。

能や歌舞伎の中に登場する動物や、小道具、演舞などを通じて、生物文化多様性について考えるワークショップ・ミニシンポジウムを多摩動物公園にて3月18日(日)開催します。また、3月15日から28日にはパネル展も開催します。

多摩動物公園でのイベント詳細はこちら

 

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