世界最南限のイワナ個体群“キリクチ“の保全生態学的研究Study on conservation ecology of the Kirikuchi charr Salvelinus leucomaenis japonicus

著者名Authors

淡水生物研究会Tansuiseibutsu-Kenkyukai

渡辺勝敏Katsutoshi Watanabe1)・ 原田泰志Yasushi Harada2)・ 佐藤拓哉Takuya Sato2)・ 名越誠Makoto Nagoshi3)・ 森誠一Seiichi Mori4)

著者所属Affiliations

  1. 1) 京都大学大学院理学研究科 (〒606-8502 京都市左京区北白川追分町)
  2. 2) 三重大学生物資源学部 (〒514-8507 三重県津市上浜町1515)
  3. 3) (株)国土環境
  4. 4) 岐阜経済大学コミュニティ福祉政策学科

要約Summary

世界最南限に生息するイワナ類である紀伊半島産ヤマトイワナ、“キリクチ“の保全のための基礎研究として、キリクチの残存する2地域のうちの一方で、分布調査と2支流における個体数・生息環境調査を行なった。放流魚と交雑していない純粋なキリクチは互いに隔離された3支流でのみ確認された。支流の上流域に隔離された1つの個体群には約280個体のキリクチが生息し、その非繁殖期と繁殖期の分布特性が河川環境とともに明らかにされた。非繁殖期に約90%の個体が淵や平瀬を利用していたが、山腹崩壊による土砂の流入によりそれらは減少傾向にあった。密漁が横行していることも明らかになった。2003年度から永年禁漁となった別支流では、釣獲圧のあった2001・2002年よりも個体数、特に大型個体の数が増加していた。キリクチの長期的な保護管理には、継続したモニタリングと生息環境の改善や密漁防止が急務であり、地域住民や行政との連携が必要であることが認識された。


Distribution, population size and habitat environments of the southern most population of the Yamato charr, Salvelinus leucomaenis japonicus,‘Kirikuchi', were investigated in one of the 2 areas where its local populations were extant, for the conservation purposes. Only 3 pure Kirikuchi populations were found in the upper reaches of falls. Artificially introduced Nikko charr, S. leucomaenis pluvinus, and hybrid between them and the Kirikuch charr were found in the lower reaches. Ecological studies were conducted for 2 pure local populations, Population A and B. Size of Population A, isolated in the upper reaches of a branch, was estimated at ca. 280 individuals, which mainly (>90%) used pools and flat riffles in both summer and autumn (reproductive) seasons. Landslides and illegal fishing threaten the population. In Population B, the population size and proportion of larger fish increased after prohibition of fishing in 2003. As well as scientists and their works, local governments, peoples and related organizations should have important roles.

1. はじめに

キリクチは世界最南限に生息するイワナ類であり、紀伊半島にのみ分布するヤマトイワナの地域個体群である(写真1)。キリクチはその希少性や学術的重要性から、2河川(支流)で奈良県の天然記念物に指定されており、環境省のレッドデータブックでは「絶滅のおそれのある地域個体群」とされている。現在キリクチは、生息地の荒廃や分断・隔離、過度の漁獲圧、さらに放流された別系統のイワナ(ニッコウイワナ)との交雑の影響を受けて、絶滅の危機にある。純粋なキリクチは、今では2地域(以下、地域1および2)の支流・谷のごく一部に生息するのみとなっている。

写真1 十津川水系個体群A(地域1)のキリクチ

写真1 十津川水系個体群A(地域1)のキリクチ

一方、キリクチの生態に関する研究はこれまで十分になされていない。地域2の天然記念物指定地域においては、1990年代から私たちのグループにより、個体数調査や産卵行動、共存種アマゴとの種間関係などに関する調査が行なわれてきた(名越 1998)。この支流は山地渓流としては比較的勾配が緩く、河川規模も小さい。この地域2から源流域の直線距離で約40km離れた地域1では、天然記念物に指定されている1支流とその他複数の支流・谷にキリクチが生息していた。それらの河川は典型的な山地渓流であり、険しい地形の中を流れている。この地域のキリクチの生態や生息の現状に関しては、これまでほとんど報告がない。しかし、周辺山地の荒廃や放流魚ニッコウイワナの影響が示唆され、さらに遊漁者の無秩序な放流や乱獲、密漁が行われている情報があった。

以上のように、キリクチは世界最南限のイワナ個体群として学術的に貴重で、かつ国際的にも注目度が高いにもかかわらず、実効的な保全管理体制が存在しないに等しく、極めて絶滅の危険性が高い状況にある。キリクチの保全のためには、各支流個体群の現状を十分に把握し、保全対策の基礎となる生息環境や生態特性に関する知見を深め、さらに実際的な保護管理体制の構築を目指していかなければならない。

本助成研究の目的は、まず、(1) これまでほとんど調査が行なわれてこなかった地域1におけるキリクチの生息分布の現状を明らかにすることである。また、(2) 同地域の天然記念物に指定されている支流の上流部に隔離された個体群(個体群A)について、生息量、生息環境、場所利用に関する生態学的調査を行なうとともに、個体数推定と環境評価の簡便な方法を確立することを試みた。さらに、(3) 2003年から永年禁漁措置がなされた別支流の個体群Bについて、2001年から行われているモニタリングを継続し、遊漁の影響や禁漁効果について検討した。

なお、本助成研究の大部分は、当会のメンバーである佐藤拓哉氏の修士論文研究として行われ、本報告内容を含む修士論文が2004年3月に提出された。天然記念物指定地域における調査は、奈良県より現状変更許可を受けて行なわれた。また、本報告中では、地域行政、漁業組合と研究者間の保全のための申し合わせに従い、具体的な地名の明記や分布場所が特定できる記載を行なわない。

2. キリクチの分布状況

(1) 目的

キリクチは紀伊半島の河川のうち、十津川水系と日高川水系から分布が知られていた(久保 1998)。しかし、周辺山地を含めた河川環境の荒廃や過剰な釣獲圧、あるいは放流されたニッコウイワナとの交雑のために、現在では十津川水系に属する2つの地域の支流・谷のごく一部に生息するのみとなっている。純粋なキリクチは、現在もこれらの原因により減少を続けているものと考えられる。キリクチの保全のためには、分布の現状を把握し、保全上重要な地域を把握することが急務である。従って、文献や地域漁協からの情報等を利用して、各支流・谷におけるイワナ類の分布を調査した。

(2) 材料と方法

分布調査は、これまでにキリクチの分布が知られている支流を中心に、釣りおよび潜水目視によって行なった(写真2)。目視または一時捕獲されたイワナ類について、ニッコウイワナの色彩・形態的特徴、つまり、明瞭な白い斑点を持ち、赤みに欠ける体色、あるいは口吻が強く鉤状を示すなどの特徴を有するかどうかを観察した。それらのニッコウイワナの特徴を持たず、橙色を帯びた斑点や体色、短い吻端等のキリクチの特徴を持つものをキリクチと判断し、それ以外をニッコウイワナまたは交雑魚と見なした。同時に、マイクロサテライトDNA分析を行なうために、鰭の一部(数mm角)を切除し、100%エタノールで保存した。

写真2 分布調査風景とキリクチ

写真2 分布調査風景とキリクチ

助成期間である2002年10月から2003年9月の間に地域1において計10支流・谷で分布調査を行なった。またその前後を含め、2001年以降、これまでに地域1の計14支流・谷、地域2の計10支流・谷で調査を行なった。

(3) 結果

今回の助成期間中に調査された10支流のうち、純粋なキリクチと考えられるイワナ類が確認されたのは3支流であり(図1)、5支流ではニッコウイワナあるいは交雑個体が確認された(写真3)。キリクチが確認された3支流はすべて以前から生息が知られている場所であった。

図1 キリクチの分布状況(概略図)

図1 キリクチの分布状況(概略図)

太い線はキリクチが分布する支流・谷;細い線の多くの範囲にニッコウイワナとの交雑集団が生息する。 白抜きの四角は滝または堰堤;流れは上から下向き。支流・谷の入る向きは必ずしも実際と同じではない。

写真3 移植魚ニッコウイワナとの交雑個体

写真3 移植魚ニッコウイワナとの交雑個体

(4) 考察

今回の調査の結果、純粋なキリクチの新たな生息地は見いだされず、現時点では3つの支流・谷のみで生息が確認されている。漁協などにおける聞き込みによると、もともとキリクチは、図1に示したほぼ全ての流域に分布していた。しかし現在では3つの生息地は互いに滝で隔離されており、さらに生息地間にはニッコウイワナが侵入し、交雑個体を生じている。地域2における私たちの調査結果においても、同様に、純粋なキリクチの生息地は砂防堰堤によりいくつかに隔離され、その間にはニッコウイワナが侵入している(図1)。堰堤や滝による隔離は、小集団化による人口学的あるいは遺伝学的要因によって絶滅の危険性を高めると考えられる。しかし、ニッコウイワナとその交雑個体の存在により、安易に支流・谷間の交流を促す対策をとることができない状況にある。

一方、純粋なキリクチが確認されている上記の谷の一つ(個体群Bの生息する支流)においても、その下流部にはニッコウイワナや交雑個体が侵入していることが、形態的特徴やマイクロサテライト分析の結果(出店・渡辺・佐藤・名越 未発表データ)から分かっている(図2参照)。これは、下流部の個体を遊漁者が個人的に移殖した結果であると考えられ、適切な啓発を行なわなければ、知らぬ間にわずかに残る貴重な集団が交雑してしまう危険がある。一度交雑したら、もとの集団に戻すことはほとんど不可能なので、遊漁者による個人的な放流は非常に危険性の高い重要な問題であると考えられる。

図2 1つの支流におけるマイクロサテライトDNA2座(Sfo-8、OTS101)のアリル頻度(未発表データ)

図2 1つの支流におけるマイクロサテライトDNA2座(Sfo-8、OTS101)のアリル頻度(未発表データ)

周辺地域との比較から、最も優占するアリル(ドットの部分)が純粋なキリクチのもので、他は放流魚ニッコウイワナのものと推定された。丸の内側の数字は個体数;白抜きの四角は滝。上流側の滝より下流部には、恐らく釣り人による個人的放流のためにニッコウイワナが進入している。

3. 個体群Aにおける生息状況、繁殖生態、河川環境

(1) 目的

奈良県の天然記念物に指定されている支流(地域1)に生息するキリクチは、その生息範囲の広さや、自然の残る生息環境のために、典型的かつ重要な個体群であるといえる。2001年に行なった予備的調査の結果、滝により下流の個体群から隔離されて、上流部に比較的大きな個体群が存在することが分かった。そこで、この隔離された個体群(個体群A)を地域1における代表的な個体群として、保全対策の基礎となる生息量、生息環境、場所利用に関する生態学的調査を行なった。また、個体数推定と環境評価の簡便な方法を確立することを試みた。

(2) 材料と方法

調査域は滝で囲まれた流程約1.2kmの区間で、典型的な山地渓流の景観を示していた(写真4)。

表1 河床型単位の分類基準(高橋 2003より)

表1 河床型単位の分類基準(高橋 2003より)

写真4 個体群Aの生息地景観と電気漁具による採補風景

写真4 個体群Aの生息地景観と電気漁具による採補風景

個体数の推定には、電気漁具を用いた標識再捕法を用いた(写真4)。電気漁具の使用は、奈良県の許可と漁協の同意のもとで行なった。まず、調査域の一部(200m)で標識放流と再捕を伴う2回の捕獲を行なうことにより、捕獲率Pを推定した。続けて、全域における捕獲を1回行ない、捕獲率が全域で一定であることを仮定して、全域における生息個体数を推定した(図3参照)。この調査は2003年9月に行われた。

図3 キリクチ個体群Aの生息地概略と標識再捕調査結果 白抜きの四角は滝。

図3 キリクチ個体群Aの生息地概略と標識再捕調査結果 白抜きの四角は滝。

非繁殖期と繁殖期の分布の特性を調べるために、まず全調査域を5つの河床型、すなわち、淵、平瀬、淵-平瀬(淵とその下流に続く平瀬の境界が明瞭でないもの)、踊る早瀬、駆ける早瀬に分類した(表1)(高橋 2003)。全域にわたり、それぞれの河床型単位の数や表面積を計測した。また、上記の各単位ごとに最大水深と隠れ場所の量を記録した。隠れ場所の評価は隠れ場所となり得る間隙の数に従って、次の4段階とした: 1)ない; 2)1~2ヶ所; 3)3~4ヶ所; 4)5ヶ所以上か1m以上の奥行きがある隠れ場所が1つ以上ある。

2003年の非繁殖期の場所利用については、最もバイアスが小さいと考えられた上記の電気漁具による採捕記録により個体の分布を調べた。産卵期の場所利用については、2002年秋に目視観察により産卵床の位置を調べることによって明らかにした。この年の非繁殖期の個体数分布に関しては目視観察数を用いた。

簡単な個体数推定法を検討するために、潜水目視による個体数推定の精度に関して検討した。2つの部分区間における標識再捕調査の結果と潜水目視による観察個体数から、その比率と分散を求めた(渡辺・伊藤 1999)。目視観察個体数の誤差として、3回の繰り返し観察の結果から、変動係数を12%と仮定した。

(3) 結果

標識再捕調査の結果、電気漁具による捕獲率Pは0.76と推定され、全1.2kmにおける個体数は約280個体と推定された(図3)。

調査域を200mごとに6区間に分け、2002年の非繁殖期の目視個体数と観察された産卵床の数を比較したところ、流程に沿って連関して変動していたものの(図4)、相関は有意ではなかった(Spearman’s, r=0.00, P>0.9)。

図4 各200m区間の潜水目視個体数と産卵床数(2002年)

図4 各200m区間の潜水目視個体数と産卵床数(2002年)

調査域を5つの河床型に分けたところ、比較的流れの緩やかな淵、淵-平瀬、平瀬を合わせると、水表面積で69%、個数で53%を占めていた(表2)。非繁殖期の個体の利用割合は淵が68%と最も大きく、淵、淵-平瀬、平瀬を合わせると92%に達した。産卵床の数でも、淵が38%と最も大きく、上記の3つの区間を合わせると86%に達した。

表2 個体群Aの非産卵期と産卵期の場所(河床型)利用

表2 個体群Aの非産卵期と産卵期の場所(河床型)利用

淵、淵-平瀬、平瀬ごとに、捕獲個体数と隠れ場所指数および最大水深との関係を検討した(図5)。淵と平瀬では、隠れ場所指数と最大水深の両方で、捕獲個体数と比較的弱い有意な正の相関が認められた(Spearman’s, r=0.264~0.468, P<0.05)。

図5 各河床型単位の隠れ場所指数及び最大水深と捕獲個体数(場所利用)の関係

図5 各河床型単位の隠れ場所指数及び最大水深と捕獲個体数(場所利用)の関係

2003年8月の標識再捕法から推定された生息数は、潜水目視個体数の3.0倍であると推定された(表3)。これにより2002年と2003年の6月時点での個体数(±1.96SE、95%信頼区間)を目視観察データから推定すると、順に約590±240、400±160と計算された。2003年の8月には標識再捕法から280個体と推定されているので、いくぶん過大評価の傾向にあったが、95%信頼区間は重なっていた。

表3 潜水目視による簡易個体数推定

表3 潜水目視による簡易個体数推定

(4) 考察

個体群Aはキリクチの代表的な個体群であると考えられるが、2003年の個体数推定の結果、おおよそ300個体しか生息していないことが明らかになった。非産卵期と産卵期の分布から、産卵期には個体の移動が見られるようであるが、個体識別あるいは体サイズごとに分けた詳しい検討が今後必要である。しかし、いずれの時期にもキリクチは淵から平瀬にかけての比較的流れが緩やかな場所を利用しており、採餌場所や産卵場所として、そのような場所の数や大きさは直接キリクチの環境収容量の大きさにつながるものと考えられる。

しかしながら、本調査地域をはじめ、キリクチの生息場所では、しばしば山腹斜面の崩落などにより多量の土砂が流入し、その結果、淵や平瀬が埋まってしまっている場所が見られた(写真5)。斜面の崩落は自然現象であるが、スギの植林あるいは植林地の管理放棄、また樹木の立ち枯れ等の影響で、山林の荒廃は目に余る状況にあると思われた。このような生息環境の悪化は、キリクチの生息状況に深刻な影響を与えている可能性があり、わずか300個体という個体群サイズは、不安定な環境下では激減や絶滅の危険性をはらむものであると考えられる。

写真5 個体群Aの生息場所における山腹の崩壊

写真5 個体群Aの生息場所における山腹の崩壊

一方、調査期間中にも、密漁者による釣獲が示唆され、釣り糸の絡んだ個体が複数確認された(写真6)。インターネットのウェブページにはこの場所での密漁について記載されたものが複数ある。また2003年には、実際に私たち(佐藤)と漁協が協力して行なった見回りの際に密漁者が捕まり、警察に身柄が引き渡されたこともある。それらの状況を踏まえ、私たちは地域行政や漁協と協力し、密漁防止や保全のための啓発看板等の設置を行なってきている(写真7)。キリクチの保全上、生息環境の保全とともに、密漁対策は大きな課題である。

写真6 密猟者により釣り糸を絡められた個体群Aのキリクチ(天然記念物指定場所)

写真6 密猟者により釣り糸を絡められた個体群Aのキリクチ(天然記念物指定場所)

写真7 個体群Aの生息場所における密猟防止のための啓発防止看板

写真7 個体群Aの生息場所における密猟防止のための啓発防止看板

キリクチ個体群の現状を知るために、生息個体数を推定することは非常に重要である。今回、私たちは行政と漁協の理解と協力により、電気漁具を使用した効率的な標識採捕調査を行なうことができた。しかし、生態学的研究においては国内外でその有用性が広く認められている電気漁具であるが、社会的に非常に受け入れられにくい状況にある。今回、潜水目視による個体数推定を検討したが、標識採捕や目視の誤差、またサンプリング誤差を含むために、比較的推定の精度が悪かった。おおよその推定には十分に使えると考えられるものの、更なる検討が必要である。

生息環境・河川環境の評価のために今回用いた河床型分類とその定量的把握は、簡便かつ有効であろうと考えられる。今回の調査域1.2kmの測定はほぼ1日で終了することができた。また、隠れ場所指数や最大水深は生息個体数とある程度の相関が認められたので、更にデータを蓄積することで、生息環境評価あるいはそのモニタリングに十分に利用できるものと考えられる。

4. 個体群Bにおける生息状況のモニタリング

(1) 目的

個体群Bは遊漁者による釣獲にさらされた個体群であるが、最下流部に滝があるためにニッコウイワナの自由な侵入が阻まれる状況にあった。約1.5kmの流程にわたりキリクチが生息していることがわかったので、2001年から個体数推定などを行なってきた(佐藤 2002)。それらの調査の結果、釣獲圧が個体群サイズや再生産に大きな影響を与えていることが分かり、現在に至るまで生息個体数のモニタリングを行なっている。マイクロサテライトDNA分析の結果、この谷の下流域には遊漁者が個人的に持ち込んだと考えられるニッコウイワナの遺伝的影響が見いだされたが(前述)、上流域の約1.0kmの区間には純粋なキリクチが生息することが分かっている。

一方、こうした私たちの調査の結果(佐藤 2002)を踏まえ、地元の漁協と行政の理解と協力により、この支流は2003年から周年禁漁措置が施された。従って、2003年は禁漁後の生息個体数のモニタリングと目的を変え、調査を実施した。

(2) 材料と方法

事前調査として、2001年には、5月時点の個体数を釣りによる標識再捕法により推定した。2002年には、3月に行なわれた釣りによる全域の捕獲データと2001・2003年に推定された釣獲率のデータから個体数を推定した。助成期間である2003年には電気漁具を用いた標識再捕法による推定を行なった。一時捕獲時に尾叉長を計測した。

(3) 結果

2001年の全域における標識再捕調査の結果、推定個体数(±1.96SE、95%信頼区間)は310±50であった(図6)。2002年は標識再捕が行なえなかったので、別の年の釣獲率から個体数の推定を行なった。その結果、640±360、あるいは320個体(信頼区間推定不能)と大きく誤差のある値が推定された。2003年は640±140個体と推定された。

図6 個体群Bにおける個体数の推移

図6 個体群Bにおける個体数の推移

2002年の黒丸は2001年の、また白丸は2003年の釣確率データから推定。

禁漁前後の体サイズ(尾叉長)分布を図7に示す。繁殖参加個体と考えられる13cm以上の個体の割合は、禁漁前には50~63%で、年間で有意な差異はなかったが(χ2検定、P>0.15)、禁漁後には76%と大型個体が有意な増加を示した(P<0.01)。

(4) 考察

2001年の個体数推定の精度は十分でないが、禁漁後の2003年には2001年と比べて明らかにキリクチの個体数が増加していた。また、2003年度には中・大型の個体の割合が増加し、これは調査季節の違いだけではなく、大型個体や高齢魚が残存していた結果であると思われる(図7)。本調査において、1回の釣りにより、2割から5割程度の個体が釣れていた事実からも、釣りによる個体数への影響は絶対に無視できない要因であり、2003年の増加が禁漁措置による好影響である可能性は高いものと考えられる。

図7 個体群Bおける尾叉長分布の推移

図7 個体群Bおける尾叉長分布の推移

5. 総合考察

本助成による分布調査を中心に、純粋なキリクチは、現在2つの地域で、滝や堰堤、あるいはすぐ下流部に生息する移殖魚ニッコウイワナの存在により、孤立した小集団として存在していることが明らかになった。また、地域1の3つの支流のうち、1つは天然記念物指定により禁漁化されていたが、他の2つでは遊漁対象としてほとんど管理されないままに釣られてきた。また地域1、2の双方で、天然記念物指定地域であるのに関わらず、密漁が横行している現状にある。一方、上記の天然記念物に指定されていない支流の片方では、2003年から禁漁措置が施され、わずかに密漁の跡も見られたものの、既にその効果が見いだされているものと推定された。以上の現状から、キリクチの保全のためにまず行ない得ることは、禁漁あるいは釣獲制限を伴う資源管理であるといえる。地域1における禁漁措置は、地域漁協や行政の理解と非常に迅速な決断の上でなされたものであり、保全のための実効的な第一歩となることが期待される。地域や遊漁者への啓発も含めた確実な管理体制が今後構築されて行くことが望まれる。

一方、山地荒廃による生息環境の悪化の個体群への影響に関しては、それがどの程度深刻なものであるのか、十分に明らかになったとは言い難い。しかし、比較的深い淵や平瀬を非繁殖期・繁殖期ともに利用することが明らかになったので、ところどころで目にされる周辺斜面の崩壊による土砂の流入の影響は無視できないと考えられる。土砂流入は、水深を浅くしたり、隠れ場所を埋めるなどの河川の空間構造に変化をもたらすとともに、厳しい環境条件を要求する産卵床の底質を変化させる可能性も高い。とはいえ、それを人為的に制御することは簡単ではない。少なくとも個体群のモニタリングを通じて、その影響の評価と代替措置の検討を行なっていかなければならないだろう。

純粋なキリクチの生息域のすぐ下流部には放流されたニッコウイワナに由来する交雑個体群が広く分布している。本来イワナ類は物理的障害がない限り支流間で交流しながら存在してきたものと考えられるが、現在ではそのような個体群構造を容易に再生することができない状況になっている。しかしながら、長期的には、交雑個体群の除去も視野に入れた個体群再生を図る必要があると考えられる。

以上のような調査や施策を実行するに当たっては、これまでも、また将来においても、地域の理解と連携が必須である。地域行政、漁協、その他の関連機関、住民がその地域の自然環境とキリクチの生息する意義を理解し、果たすべき役割は大きい。個体数モニタリングや生態調査の結果を保全対策に有効に組み入れながら、キリクチとその保全をめぐる共通理解のもとに実際的な保護・管理体制を構築して行かなければならない。そういった意識の中、2002年から年1回、本会メンバーの佐藤が中心となり、地域1において「キリクチ座談会」を催し、また啓発のための新聞の発行を開始している。環境荒廃が進み、密漁が未だ横行する現状を見ると決して楽観できる状況ではないが、キリクチの保全に向けての第一歩はすでに踏み出されているものと考えている。

謝辞

本研究は、2002年度のPRO NATURA FUNDによる助成金によって実施された。また奈良県および関連する村の教育委員会、県農林部農業経営課、地域の漁業組合の方々にはひとかたならぬご協力をいただいた。心から感謝申し上げる。なお、本文中に引用したマイクロサテライト分析は出店映子氏(当時奈良女子大学理学部)との共同研究の未発表データである。

引用文献

  • 久保達郎. 1998. キリクチ. 水産庁編「日本の希少な野生水生生物に関するガイドブック」:164-165. (社)日本水産資源保護協会.
  • 名越誠. 1998. キリクチの生態と保全上の問題. 森誠一編「魚から見た水環境」:107-119. 信山社サイテック.
  • 佐藤拓哉. 2002. 希少魚キリクチの保全のための生態学的研究. 平成13年度近畿大学農学部卒業論文.
  • 高橋剛一郎. 2003. 瀬-淵構造の区分とその分析方法. 地形,24:41-63.
  • 渡辺勝敏・伊藤慎一朗. 1999. **川における希少種ネコギギの生息個体数と分布. 魚類学雑誌,46 (1):15-30.