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イヌワシの帰りを待つ土地

昔の地域の姿を想像すると
やっぱりいいなと思うんです

 

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Vol.3
阿部忠義さん

一般社団法人 南三陸研修センター理事(元南三陸町入谷公民館 館長)

 

南三陸の山間部である入谷地区で、地域の人たちに「カンチョウ」と呼ばれ親しまれている阿部忠義さん。町の職員として地元の産業振興に携わってきた経験をいかし、震災後は、地元の人々の雇用のため、地域復興のため、多くのプロジェクトを手がけてきたアイデアマンです。イヌワシのいる南三陸をブランディングするためには欠かせない人物といえます。

 

 


本当の地域づくりとはなんだろう?

 

阿部さんは町の職員として地域振興に関わってきましたが、その後退職されてからも、研修センターの運営や復興グッズの開発など、南三陸の復興に関わる多くのプロジェクトに深く関わっていますね。

南三陸はタコが名産なので、そのタコをモチーフにした文鎮を合格祈願のお守りグッズにしました。置くとパス(試験に受かる)するから「オクトパス君」(笑)。これは震災前からあったのですが、津波で流されてしまって製造を中止していました。それを地元の雇用を確保するため、復興グッズとしての製造販売を再開したんですね。また、「いりやど」という宿泊研修施設は、雇用はもちろん、交流人口をこの地域で増やそうと思って立ち上げに関わりました。ここでは、地元の人たちと他地域の参加者が一緒になって南三陸の勉強会などを行っていますが、そうすると単に観光客を増やすよりも深い交流ができます。現在、大学や企業の研修なども含めて、研修プログラム参加者は年間約3,000人くらい、宿泊客は年間8,500人を超えています。

そういった精力的な活動は、やはり震災がきっかけでしょうか?

振り返ってみればいろいろな事業の立ち上げに関わってきましたが、当時は町の役場に勤めていて、公務員として自分に与えられた任務とは別に、地域を何とかしなくてはいけないという思いはありました。南三陸町は、昭和35年のチリ地震津波の際にも甚大な被害を受けていますから、防災には元々力を入れていた町ではあったんです。そういう経験もあり、私は3.11の東日本大震災のときには、防災マニュアルに基づいた高台の避難所(上山緑地)に避難しました。そこには約300人ぐらいが集まったと思いますが、大津波の勢いがものすごくて、その高台から見た風景は想像を絶することで、もう町は終わったと思いました。その後、300人の避難者と共にさらに高台の志津川小学校の体育館へ移動し、そこで2週間ほど避難生活をさせてもらいました。あの時、いろいろなことを学びました。命をつなぐための食べ物や衣類、トイレ、暖房や照明、車の燃料を確保すること…。話し出したら切りがなくなりますが。さまざまな経験から感じたことは、人間というのは助けあって生きる生きものなんだなと改めて実感しました。大げさにいうとそこにいた人々がひとつの生命体のように見えたんですよ。震災後の地域づくりにもそういう視点を取り入れたらどうだろうという感覚的なものは捉えました。

阿部さんは昨年に町役場を退職していますが、震災がなかったら、
どういったプランを考えていたんですか?

小さいころからモノづくりが好きで、将来はアトリエを作って創作活動に没頭するのが夢でした。まさにその準備をしていたんですよ。親父の工場を改築してアトリエにして、若い時から購入して集めた機材や工具などを全部持ち込んで。念願の140坪のアトリエが完成した時は、何ともいえない充実感でしたね。喜びも束の間、その2週間後に大震災による大津波で飲み込まれました。自分にとっては人生をかけた大勝負が、デビュー前に流されてしまった。あの震災は、一瞬の自然災害という出来事なんですね。私のように個人的な計画を立てていた人もいたでしょうし、巨費を投じて、事業所の施設整備も行ったり、従業員を抱えて、全国展開の準備したところもあったでしょう。たくさんの尊い命も奪いましたが、同じようにたくさんの可能性も奪った自然災害だったんです。それで私自身は、自然と戦っても敵わないんだから、やはり自然に沿った地域づくりが必要なんだろうと思い至りました。震災後に異動で赴任した入谷公民館の担当にもなったので、地域の活力を取り戻すためのさまざまな取り組みを行いました。地域を学ぶ勉強会を月に1回くらいは開催していました。そのなかで、自然保護協会のふれあい調査を取り入れたり、鈴木卓也さんに講話をお願いしたり。参加者でIターン組の若い人なども増えたのですが、地元の90代のおばあさんを招いて、子どもの頃の話を聞いたりすると、今では想像もできないような苦労話などもあって、みんな興味津々なんです。例えば昔は山も今と異なり、広葉樹も多くあって、その森を活用していたことだとか。あるいは、山を間伐したり皆伐すると、小径木や枝や葉がたくさん切りっぱなしで放っておかれるんだけど、地域の人に情報が伝わっているから、焚き火用としてみんな持っていって、森がすっかりきれいになったそうですよ。木造の家も再利用されていて、あるおばあさんに聞くと、うちの家はどこそれさんの家を壊したやつを運んできて組み立てて建てた家なんですよって話されていました。昔は釘なんか使わないから、解体した部材が再利用できたんですね。今の家は、壊したら全部産業廃棄物。経済が成長するにつれてゴミばかり増えて、まるでゴミを生産するための社会に思えてきます。昔の話を聞いているうちに、青空にイヌワシが飛んでいる姿を想像したりすると、自然や暮らしぶりの観点では、昔の生活の方がよかったなぁと思えるんです。そういう感覚を人のつながりのなかから教えてもらいました。

ネーミングが独特でとても個性的な、阿部さん考案の「オクトパス君」。震災を機に、復興のシンボルとしても人気がでました。


自然を中心とした地域づくりをふたたび

 

阿部さんは小さい頃にイヌワシをよく見ていましたか?

どの鳥がイヌワシかという見分けはできませんでしたね。このあたりは薪炭業が盛んで、私の父親も木炭問屋をしていた時期があったんです。そのときに父親や林業家の人からイヌワシがどこそこにいるという話は聞きました。昔は20~30年で循環する里山でしたから、餌を捕る環境もよかったんでしょうね。私が町役場で観光を担当していた時に、鈴木卓也さんも町の職員だったから、ふるさと観光講座というテーマの講師をたくさんお願いしたんです。そのときに、食物連鎖の頂点にいるイヌワシや山の環境に関する話を聞いて、自然共生型の考えは面白いなと思いました。父親が山に関わる仕事をしていたせいか、小さい頃から広葉樹の山の方がいいなとは漠然と思っていたんです。震災直後に、森や生きものに詳しい先生を案内したんですが、津波の被害を受けた山を見たら、「人工林だけ枯れている」と言うんですよね。広葉樹は意外にも枯れていない。海水を被った杉だけが、真っ赤になっているんです。杉の気持ちになれば、自分がそこに生えたくて生えているわけじゃないんですよね。人が勝手に植えただけだから。だから弱いんだと思うんですよ。

昔ながらの環境に戻すという話は、周囲でもすぐに受け入れられたのでしょうか?

イヌワシだけではない、いろいろな視点から話をしたと思います。震災後は他の地域からのボランティアも多く来てくれて、それをきっかけにたくさんの縁が生まれました。当初は、持続可能な地域づくりということでサスティナビレッジ構想というものを考えたりして、そのシンボルバードをイヌワシにしていました。イヌワシが住める環境がバロメーターになるんじゃないかとみんなで話し合ったりして。南三陸には森里海街が一体になっているけれど、産業や暮らしといった視点になるとまた違う分け方になる。人間は、脳が発達していますから、情報処理するのに数値化や言語化を行って効率よく物事を判断します。でも、イヌワシの視点になってみるとそういうことはまったく関係ないんですよね。町境や行政区もイヌワシには見えませんから。それで、合理的な考え方で前に進むことはむしろ逆行するのではないかとか、本当にいろいろに考えましたね。ただ、震災以降いろいろな事業を立ち上げましたし、数十名の雇用を維持するためには、収益をあげて回していかないと持続できないから、結局は経済中心の物差しで考えざるをえない自分がいることも事実なんです。

その試行錯誤があってこそ、たくさんのプロジェクトが実を結んだのでは?

そうですね。入谷地区ならではの地域づくりを実現するために、仕掛けたからには何とか成功させなきゃいけないというのがいまの私の課題ですね。それぞれ事業に関わっている皆さんは毎日忙しく頑張っているんですがね。

FSCの認証についても取り組まれていますね。

「オクトパス君」を製造している「YES工房」もFSC認証材を使うようにしています。いまは間伐材を使用した商品をいくつか開発しているところです。今後は、イヌワシを南三陸に戻す活動に賛同する人のために、イヌワシバッジを作って、その収益を火防線の整備に充てるとか、そういうことも取り組んでいくかもしれないですね。

イヌワシが戻ってくるかどうかはすぐに結果が出ることでもないですし、少しずつでも進んでいくといいですね。

それについては不思議な思いがあるんですよ。花見山プロジェクトという活動を行っていて、それは荒れた山を整備して花木を植えて、一面に花のある山をつくろうというものです。地域とボランティアの絆の証みたいな感じですが、しばらくは時間がかかるだろうなと最初は思っていました。ところが、少しずつ整備しているうちに、どんどん仲間も増えるし、花木を寄付する企業も現れてきて、当初の計画より大きく前進しているんです。新しいプロジェクトを成功させるには、コンセプトやブランディングをしっかりし、関係者間や地域内外の連携など、さまざまな要素があることはわかります。でも、そういうことよりも、その山にそそのかされている気がするんですよね。自然や土地から「ここをちょっと整備してよ」と言われているような……。同じような感覚は震災直後の時にもありました。偶然の出会いで、その人と何かを始めるとトントン拍子で物事が進んでいく。イヌワシについてもそういうところがあるのかもしれないですね。絶滅危惧種といわても、一般の人にとっては、絶滅するとどう困るの? という感覚だと思うんですよ。けれども、いま南三陸ではイヌワシへの関心が高まってきている。その中心の鈴木卓也さんや自然保護協会さんも、何かにそそのかされているのかもしれない(笑)。そんな気がするんです。

 

上の写真は、企業研修や地域のラーニングセンターとして活用されている「いりやど」。この場でボランティアを始め、多くの出会いがあったそうです。宿泊もでき72人の収容が可能です。


阿部忠義 
Tadayoshi Abe

一般社団法人南三陸研修センター 理事兼事務局長/ 大正大学地域構想研究所 南三陸支局長/ 南三陸復興ダコの会 事務局長/ 株式会社南三陸農工房 事務局長/ 南三陸おふくろの味研究会 事務局長

南三陸町の職員として産業振興課、公民館などの業務を担当し、2015年3月に退職。在職中より、豊富なアイデアと行動力で数多くの地域復興プロジェクトを立ち上げ、現在も奮闘中。

2016年10月5日更新