「緊急避難させた」と一致するもの

icon_syumiya.jpg エコシステムマネジメント室の朱宮です。
 
春のかきおこし以来どうなったか気になっていた寺浜のミズアオイは無事開花していました。また、ミズオオバコやヤナギスブタも開花していました。ちょっとほっとしました。
 

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11月に環境省のビジターセンターがオープンする予定ですが、南三陸町のネーチャーセンターについては、予算や復興事業の都合により復旧されるか予断を許さない状況です。
残された自然を保全し、活用するためにも優れた人材が活躍できる場ができるとよいと思っています。この取組が少しでも寄与すればと思っています。
 
icon_watanabe.jpg 会員連携室の渡辺です。
 
4月26日~28日、エコシステムマネジメント室の朱宮と、宮城県南三陸町寺浜地区で進めている湿地植物(ミズアオイやミズオオバコ)の保全作業に行ってきました。
※これまでの活動の経緯は、「被災地で緊急避難させた湿地の植物のゆくえ(その1~)」をご覧ください。
 
 
夏に可憐な花を咲かせるミズアオイやミズオオバコ。今は泥の中で種が眠っている時期。今回は、移植先の湿地にびっしりと生い茂ってしまっているヨシやガマを抜き、湿地の状態を戻す作業をしました。
 
 
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▲すっかりヨシとガマが生い茂ってしまっている湿地。どこから手をつけようか一瞬怯んでしまったが、とにかく地道に作業するしかない。
 
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▲慣れない草刈り機でヨシを刈る朱宮。
 
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▲今回も、一緒にこの活動を進めてくださっている宮城大学の神宮字先生とゼミの学生さんたちが作業を手伝ってくれました。
 
 

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▲南三陸は春まっさかり。新緑の中を桜の花びらが舞い落ちる、そんな風景を見ながらの作業は、なかなか気持ちがいい!

 
 
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▲ひと通り草刈が終わった後は、水を引き、地元の方にも協力いただき、トラクターでヨシやガマの根を掘り起してもらいました。
 
 
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▲最後は、ヨシやガマの根を泥からつかみ出す地道な作業。
 
 

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▲湿地復活! 最終日はあいにくの雨。日本自然保護協会の事務所があるビルの屋上で試験的にミズアオイやミズオオバコの生息域外保全を行うために、湿地植物の種が混じっているであろう泥をすくう朱宮。

 

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▲事務所の屋上に運ばれた湿地の泥。ここからどのくらい湿地植物が芽を出してくれるかな。

 
作業中、すぐ近くの道を散歩されている方から「何をしているの?」と聞かれたので、ミズアオイやミズオオバコのことを教えると、「そんな貴重な花が波伝谷あたりにあったなんて全然知らなかった」と、2種の名前を丁寧にメモされ、「波伝谷のあたりは、震災前は小さな道のまわりにいろんな花が咲いていてそれを見て散歩するのが楽しみだんただけど、今は、復興道路とか防潮堤の建設で、震災前の風景も花もなくなっちゃったから寂しく思ってたの。このあたりはよく散歩にきているから、これからちょくちょく花の様子をみにきてみるわね! 楽しみができて良かった!」と、嬉しそうにおっしゃってくださいました。
 
2年目の去年、順調に個体が増えていたミズアオイ。今年はどのくらい花を咲かせてくれるのか、私も夏が楽しみです♪
 
 
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▲ミズアオイがあった波伝谷地区付近。復興道路や防潮堤の建設が着々と進んでいる。
 
 
 
さて、話は小さな湿地植物から大空を飛ぶイヌワシにかわります。
南三陸町にはイヌワシのつがいが暮らしていたのですが、2011年以降確認されなくなってしまいました。日本自然保護協会では、この南三陸町にイヌワシを復活させるプロジェクトを林業家やNPO団体、地権者などと進めています。
湿地の復元作業の前に少し時間があったのでイヌワシが暮らしていた山の上に行ってみました。
 
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「このあたりにイヌワシが住んでいた」と朱宮から教えてもらってびっくり!
そこは、とても素敵な里山の風景が広がる場所でした。
イヌワシというのは山奥に住んでいるもの、と思っていたので、こんな人里の上をイヌワシが飛んでいたということが信じられませんでした。
 
山菜とりにきていたおじさんや民宿の方も口々に「イヌワシがいたのはもちろん知ってるよ」「子どものころからよく頭の上を飛んでいるのをみていたもの。イヌワシは普通に見られる鳥だと思っていた」とおっしゃるので、これまたびっくり! 南三陸町の人にとっては、まるでトビのような身近な鳥のような存在のようです。
 
この里山の空をイヌワシが飛ぶ姿を、また地元の方々にみられる日がくるよう頑張っていきたいと改めて思いました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

icon_syumiya.jpg エコシステムマネジメント室の朱宮です。

 

8月28日~9月1日、宮城県の南三陸町戸倉地区寺浜で2014年4月に移植した湿地植物群落のモニタリング調査を実施しました(これまでの移植作業の様子はこちらのページの下部をご覧ください)。
 
移植から1年半が経過し、寺浜のミズアオイ(準絶滅危惧種)は今年もきれいな花を咲かせていました。昨年より開花した個体が増えていました。ただ、周辺のヨシやコガマが繁茂し、少し離れて見ると目立たないかと思います。ヨシに関しては草刈りなど管理が必要ですが、労力がかかることから今後の課題となっています。
 
 
▼2015年4月23日の寺浜の湿地
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▼2015年8月30日の寺浜の湿地

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▼寺浜の移植したミズアオイは今年も無事に開花。

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隣では「南三陸おらほの酒づくり」が行われています。この取り組みは、復旧した農地を活用して酒米をつくり、お酒を生産・販売して放棄耕作地、雇用創出、田園風景の復活、そして絶滅危惧種の保全という大きな目標のために行われています。
 
減農薬で米づくりを行っていることから、いもち病が発生したり、今年はスズメが多く実が熟す前に中の液を吸ってしまうため全部の実の一部が茶色く変色してしまっていました。去年は7反歩でしたが、今年は波伝谷と寺浜で20反歩と面積を拡大して作付けしています。被害を受けることを前提に面積を拡大しているとのことですが、せっかく植え付けたコメの収量が減ってしまうことにもなり非常にたいへんな作業だと思います。
 

▼寺浜の湿地のとなりで作付けされたイネ

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移植元である波伝谷の復旧道路工事は急ピッチで進んでおり、復元した湿地は完全に消滅しました。しかし、波伝谷では農地復旧した田んぼでおらほの酒づくりが進められており、減農薬でコメづくりが行われていることから、耕起した田んぼからミズアオイやその他の湿地の植物が復元しました。
 
当初は高台の造成ででた山土を入れていることから、復元は難しいと思われていましたが、もともと周辺に多かったミズアオイをはじめとした湿地の植物が耕起されることにより、また減農薬で米づくりが行われていたことにより、再度回復してきたと考えられます。引き続き注目していきたいと思います。
 
▼波伝谷の復旧道路
 
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▼イネと共存するミズアオイ

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28日には、「山さ、ございん」(山においでよ)プロジェクト実行委員会(南三陸森林組合、南三陸山の会、博報堂など)が主催の南三陸杉デザイン塾が開講し、その記念講演会が南三陸森林組合で開かれました。
 
塾は南三陸杉をより洗練されたデザインで加工する技術を持った人材を育てることが目的となっています。産業が根付けば人工林の活用も進むのではないかと期待されています。
 
実は、南三陸はイヌワシが見られる地域として知られており、町の鳥にイヌワシがなっていたり、戦後イヌワシの観察が始まった最初の場所があることからイヌワシ保全の象徴的な場所でもあります。日本自然保護協会は、赤谷プロジェクトでイヌワシの保全に取り組んでいることから、南三陸でも地元の林業家の方と協働した取り組みができないか模索しています。
 
 
▼「山さ、ございん」プロジェクトのセミナーでイヌワシの講演する鈴木卓也氏
 
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今回は気仙沼の西舞根の湿地の調査も行いました。
途中、小泉海岸、大谷海岸、野々下の防潮堤、陸前高田市長部漁港の防潮堤の様子も見てきたので報告します。
 
小泉海岸は14.6mの最大の防潮堤ができることで知られていますが、現在では防潮堤の工事が始まり、海岸の中には入れなくなっています。防潮堤の基礎となる土の搬入が始まっていました。
 
大谷海岸は、まだ工事が始まっておらず去年と同じ状態でした。林野庁、国交省、県、JRの土地が錯綜し、地元から代替案の提案なども出されていることから工事が進まず、去年と同じ状態のままでした。
小泉海岸の砂浜が工事により消失したので、大谷海岸が周辺では唯一にして最後の大規模な砂浜ということになります。
 
野々下の防潮堤は、去年は県が設置した防潮堤が半分完成しており、残りの半分は林野庁が設置することになっているようですが、形が違うために中間の接続部の形状に苦労したようです。現在はその中間部の工事が行われていました。
 
 
▼小泉海岸のホテルの周辺のようす。すでに防潮堤の工事が始まり砂浜は消失した。
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▼大谷海岸は、地元の調整が進まずまだ工事が始まっていないため去年と同じ状態だった。

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▼野々下の防潮堤

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▼陸前高田市気仙町長部の漁港に設置された防潮堤

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31日は、気仙沼市西舞根に移動し、去年調査した湿地のモニタリングを行いました。

高台移転やトンネルの工事により回復した湿地の一部は失われてしまいました。サンショウモやヒルムシロなどが見られた湧水湿地も農地復旧により消失しました。しかし、NPO法人森は海の恋人の畠山さんの土地はそのままの状態で保存されています。

 

▼トンネル工事の様子。

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▼農地復旧により消失した湿地跡

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▼高台からみた西舞根

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icon_syumiya.jpg エコシステムマネジメント室の朱宮です。
 
4月23日~24日に宮城県南三陸町寺浜地区で新年度最初の避難させた湿地植物の保全作業を行いました(これまでの湿地植物の避難作業の様子は こちら )。
 
夏が来る前にヨシやガマなどを除去し、ミズアオイやミズオオバコなどの絶滅危惧種を含む湿地の植物が復元できることをめざしています。宮城大学の神宮字先生とその学生たち、南三陸町役場ネーチャーセンター準備室、ネーチャーセンター友の会、南三陸復興推進ネットワーク、環境省石巻事務所のアクティブレンジャーの方が手伝いに来てくれました。
 
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最初は上の写真のようにヨシやガマの周辺が陸地化しているところが多かったのですが、これらを根ごと除去することで下の写真のような湿地が戻ってきました。この日は晴天で4月にしては暑かったのですが、同行したNACS-Jの亀山理事長と岩橋経営企画部部長も汗を流しながら慣れない根っこ取りを行いました。
 

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▲湿地が戻ってきた様子。NACS-J亀山理事長も泥だらけになりながら丁寧に仕事をしておりました。

 

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▲泥と戯れる岩橋経営企画部部長…。

今年度もモニタリング調査を行う予定です。もし、ミズアオイが増えているようであれば、他の田んぼにも少しずつ移植して増やしていくことも考えています。隣の田んぼでは、南三陸復興推進ネットワークが、酒米づくりを行っていて、地元のお酒を造る「おら酒プロジェクト」を今年も行う予定なので、絶滅危惧種を保全する酒づくりを一緒に行えればと思っています。
 
 
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▲津ノ宮漁港「タブノ木」にて、ワカメが終わり今度はホヤが出始めました。
 
 
 
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▲入谷地区にあるYes工房。南三陸産のスギ材を使った工芸品やオクトパス(置くとパス)という合格文鎮、シルクの小物(入谷産ではないがゆくゆくは地元で生産されたものを使いたいとのこと)などが売られていました。
 
入谷地区では、昨年からふれあい調査を実施しています。入谷地区にはイヌワシが繁殖していたこともあり、イヌワシの里として紹介されることもありましたが、震災以降生息が確認されていません。そこで、赤谷プロジェクトととも協力してイヌワシが住める環境作りを進めていこうと地元の方と検討をしています。(参考:赤谷プロジェクトでの、イヌワシが住める環境創出試験についてはこちら
 
icon_syumiya.jpg 引き続き保護・研究部の朱宮です。
 
つづく10月12日は気仙沼市西舞根地区を訪れました。
ここは、NPO法人森は海の恋人の畠山さんが住んでいらっしゃる地区です。昨年も舞根地区におじゃまして津波後に復元した湿地と西舞根川に沿った渓畔林の調査をさせていただきました(調査の結果は「東日本海岸調査報告書」参照)。
今回は、ここも復興事業が進み湿地に影響が出たと畠山さんから聞き、湿地の状況を確認することとしました。
 
西舞根地区では6カ所2m×2mのプロットを設定して植生調査を行いました。まずは、昨年もっともよい状態で残されていた東舞根地区の個所ですが、隣の地区に抜けるトンネル工事の真下だったためにすでに消失していました。
 
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▲2013年8月19日の湿地の様子
 
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▲2014年10月12日の同じ場所の様子。
 
では、他の場所は?
カワツルモが見られた塩生湿地とフトイやサンカクイが見られた奥の湿地は残されていました。前年に調査した箇所の再調査を行いましたが、組成はほぼ変わっていませんでした。
 
下の写真は高台移転先から西舞根川広域をみたものです。急ピッチで復興事業が進んでいることがわかります。川の右岸側は農地復旧が進んでおり、湿地の調査プロットの一つは消失してしまいました。もう1箇所は絶滅危惧種を含む貴重な湧水湿地でしたが、わずかに残されてはいましたが、一部がすでに埋められてしまいわずかに残っているだけでした。
 

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高台の移転先からみた西舞根河口部の様子

畠山さん達が残せないか協議をしているけれども残すのは難しいそうだとのこと。被災地における自然環境保全の難しさを痛感しております。
川の左岸は森は海の恋人が所有しているようなので、同様の湧水があるような適地がないか探し、間に合うようであれば移植ができないか検討しています。
 
 
 
 
 
 
 
icon_syumiya.jpg 保護・研究部の朱宮です。
 
10月9日から11日、移植した湿地植物の調査のために南三陸町の寺浜地区に訪れました(前回の調査の様子は被災地で緊急避難させた湿地の植物のゆくえ(その1)」をご覧ください)
 
調査の目的は、カヤツリグサ科やイネ科の仲間など穂がつかないとわからない種類を同定するためです。また、国立科学博物館の田中先生のところでミズアオイのDNA分析のための葉のサンプリングも行いました。
 
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今回は、調査だけではなく南三陸町復興推進ネットワーク(373NET)が主催する「おらほの酒づくりプロジェクト」の酒米の稲刈りイベントが同じ寺浜地区であり、参加しました。
前回もお伝えしたように被災地で米づくりを進めることは、耕作放棄地の活用、過疎高齢化対策、田園風景の存続に加えて湿地植物の保全につながると考えています。
 
 
 
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稲刈りには、地元の湿地の保全にも協力していただいている阿部一郎さんと入谷地区の阿部ひさゆきさんに稲刈りの仕方、束ね方、はさがけの仕方まで教えていただきました。参加者は30名程度でしたが、地元の方だけでなく大正大学のゼミの学生たち、遠くは東京から(我々も含めて)の参加者もいたようです。
 
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僕もほとんどはじめてだったので最初はとまどいましたが、だんだん慣れてくるとスピードが上がってきて効率よく束ねられるようになりました。一郎さん達は、最近はコンバインで刈り取りをするので手刈りは久しぶりだと言っていましたが、さすが手慣れたもので刈ったイネをさっと束ねて畦に積み上げていく様子はさしずめ人間コンバインのようでした。
 
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みんなで稲刈りは本当に楽しかった! 地元の人が農作業はみんなが集まって「ゆいっこ」で作業をするんだと言っていましたが、こういうことなのだと少し実感できたように思います。
でも、これを維持していくのは大変なことです。復興推進ネットワークの及川さんも、たしかに継続できれば様々な問題可決につながるし、交流の場として最適ではあるけれども、作業の労力、人材不足、酒の販売、経費の問題など未解決の課題は多く、来年度以降も続けられるかはわからないとおっしゃっていました。東北復興支援の新たな形として継続できるように応援していきたいと思います。
 
 
 
 
 
 
 
icon_syumiya.jpg 保護・研究部の朱宮です。
 
8月22日~25日、宮城県南三陸町と気仙沼小泉地区に東京農業大学の学生と調査に行きました。今回の調査の目的は湿地や浜辺の植生調査なのですが、ここに至るまでには少し背景があります。
 
昨年、NACS-Jは南三陸町において森川海の連続性に着目して植生調査、水環境調査、アマモ場調査を気仙沼の西舞根川と南三陸町の水戸辺川周辺で実施しました(その結果は、東日本海岸調査報告書(2013)参照)。これらの調査は、上流の森林や河川沿いの渓畔林だけでなく、津波の被害のあった田んぼの跡地でも行いました。
南三陸町の戸倉地域周辺には、小さな谷戸が発達し、谷戸田があるのですが、戸倉地域の中で特に波伝谷地区には絶滅危惧種となってしまったミズアオイやミズオオバコを優占種とする植物群落が津波後に復元していました。
 
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▲昨年(2013年夏)のP1の様子(左)と現在(2014年8月)の様子(右)波伝谷
 
 
津波後に復元した湿地植物群落の存在は仙台平野など他の地域でも確認されていますが、その保全は簡単ではありません。
まず、もともと農地であった場所なので農地復旧工事、巨大防潮堤、残土置き場、復旧道路などの対象区域になっており、町の復興事業の進捗とともに消失する可能性が高いことが挙げられます。また、仮にその場所が保存されたとしても湿地植物群落はうつろいやすく変化しやすい生態系であるために定期的に洪水などの自然のかく乱や人為的にかく乱する必要があります。そうでないと、ヨシやヤナギが侵入し、低木林へと遷移していきます。
湿地植物が復元してきたのは、地元の方に伺ったところ低農薬で稲作が続けられてきたこと、谷戸田で田んぼが維持される湧水地がたくさん存在していること、毎土種子により、絶滅危惧種の土の中に保存されていたことなどによると考えられます。震災前もおそらく田んぼとある程度共存していたか、あるいは隣の放棄されていた田んぼで個体群が維持されていたのではないかと思われます。
 
そこで、湿地 植物群落の保全をしていくために、移植をし、かつ移植先での田んぼの復元を同時に行い、定期的に人の手によって管理されている状態を作れないかと提案をしました。しかも、農薬をできるだけ使わずにです。
 
南三陸町のネイチャーセンター準備室の平井和也さんに湿地の保全についてお話をしたところ、ちょうど復旧した農地を使って酒米づくりができないか検討しているとのことでした。震災後に地域の人たちの心を癒す嗜好品として酒づくりができれば、耕作放棄地の活用、過疎高齢化、田園風景の存続につながるのではないかとのことでした。それが湿地の希少植物の保全につながるということであれば、さらに新しい価値を加えることができるわけです。
 
南三陸町の戸倉地区で湿地保全を行うことには別の意味もあります。
環境省は、石巻市、登米市、南三陸町の3つの地域を自然観察やガイドツアーなどを行うフィールドミュージアム構想の拠点とする検討を行っており、将来、南三陸ネイチャーセンター跡地にビジターセンターが建設される予定となっています。もし、ビジターセンターが開設されれば、専従職員が雇用されることが想定されます。そしてセンターのプログラムの中に湿地植物群落の保全や米づくりが位置づけられれば、将来にわたって継続的に田んぼが維持される保障がされます。
 
さらに、南三陸町はコクガンの飛来地としてラムサール条約の潜在候補地として選定されており、将来、登録地の申請をする際に、渡り鳥の飛来地としてだけでなく、生物多様性に配慮した田んぼの湿地が維持されている地域として評価が高くなるとも考えられます。
何より、波伝谷でモニタリングサイト1000の里地里山調査でもご協力をいただいている鈴木卓也さんという方が波伝谷に住んでおられて、津波後住居を移されていますが、鳥類のモニタリングや民俗学的な調査を行っている専門家がいることが大きい意味を持っています。
 
そうした背景があり、戸倉地区の谷戸のひとつで貴重な湿地が見られた寺浜地区の方に相談したところ土地を所有あるいは管理しておられる阿部さんを紹介していただき、以前から低農薬での田んぼづくりなどにも理解があり、直接会ってご説明したところご快諾をいただき、田んぼを貸していただけることになりました。いくつかの田んぼのうち一枚は波伝谷の植物の移植先として、他はボランティアによる酒米づくりの田んぼとして活用されることになりました。現在では、NPO法人南三陸復興推進ネットワークの地元の若いメンバーが中心となりボランティアで稲作を行っています。
 
今年の3月に気仙沼土木事務所に復旧計画について問い合わせたとこ、5月には復旧道路の工事に入りたいとのことでした。そこで、波伝谷の湿地植物の移植作業は、急遽4月に実施することになりました。
移植にあたっては、国立科学博物館の田中法生さんに立ち会っていただきました。
移植は波伝谷の泥を一定の範囲でスコップで掘り取り、寺浜に設定した3m×3mの範囲に広げて移すという単純な方法です。
 
移植後のモニタリング調査に当たっては、宮城大学の神宮字先生にご協力いただき1ヶ月に1度、植生や昆虫類の調査を実施していただくのと泥の一部を持ち帰り、水位、水温、光条件などを変えてどんな植物が成長するかをみる域外実験を実施していただくことになりました。

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移植した植物の調査手法について打合せをする宮城大学・神宮司さんと朱宮(2014年7月)。

 
最終的に、波伝谷から優占種の異なる3カ所(P1ミズアオイ群落、P2ミズオオバコ群落、P3コウキヤガラ群落)から泥を持ち出し、1枚の田んぼにそれぞれ3カ所に分けて泥をまき、残りの3カ所は移植前の状態を残して何もしない対照区(コントロール)を設置したので合計12カ所のプロットをモニタリングすることにしました。これにより、移植後の復元状況を比較検討することができるようになります。また、調査の際には、おそらく復元した植物の競争相手となる可能性があるヨシ、ガマ、アメリアカセンダングサなどを除去する作業も行いました。
 
移植作業から4カ月経った8月22~25日に行った調査は、12カ所のプロットごとに植生調査を行い復元状況を確認することが目的でした。特に絶滅危惧種となっているミズアオイやミズオオバコがちゃんと定着しているか確認をしたいと思っていました。
 
その結果、P1のミズアオイが優占していた群落からとった泥をまいた場所からだけミズアオイが写真のように花を咲かせていることが確認できました。
 
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▲P1から泥を移植したプロットで8月23日に確認されたミズアオイ(寺浜)
 
去年の調査から寺浜にミズアオイは確認されていなかったので、このミズアオイは、移植成功の標徴種であり確実に波伝谷から移植によってもってこられ、定着した個体であると考えられるので、目標としている種が見られたという点でこれは朗報です。 
 
ただし、すべての構成種が移植によって定着していたわけではなく昨年の調査で観察された他の構成種、特にフサモ、トリゲモといった水草類は観察されませんでした。
また、ミズオオバコは観察されましたが何もしていない対照区(コントロール)でのみ だったのでもともと寺浜にあったものだと考えられました。それと、シダ植物のイチョウウキゴケはまったく観察されませんでした。
絶滅危惧種の保全という観点からは、少なくとも工事によって失われる可能性がある種群を移植できたこと、また、目標としていた種の一部が定着していたことが確認できたという点で第一段階は一部成功したというところでしょうか。 ヨシやガマをある程度除去していますが、放置すれば数年でヨシ群落に変わってしまう可能性があります。また、すべての構成種が確認できたわけではありません。今後もしばらくモニタリング調査を継続し、稲作と共存できるありようを試行錯誤していきたいと思います。
 
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右:手前が復田したたんぼ、奥が移植地(2014年7月撮影)。右からNACS-J・朱宮、このプロジェクトにご協力くださっている地権者の阿部氏、慶応大学の大沼教授、南三陸町役場の平井氏。
 
 
 
icon_shimura.jpg  保護・研究部の志村です。
 
7月11〜13日、宮城県に保護・研究部の朱宮と行ってきました。
台風8号が各地で猛威をふるいながら北上していましたが、当日は台風は抜けて好天に恵まれました。
 
今回の調査は、今年4月に行った復興道路建設で危機にあった絶滅危惧植物の緊急移植の経過モニタリング、人と自然のふれあい調査。そして、自然資本というキーワードで沿岸という自然を環境経済の視点から検討するため、慶応大学の大沼あゆみ教授にもご同行いただきました。
 
東日本大震災の被災地では、いよいよ本格的な復興事業が進んできたという風景があちこちで広がっていました。地盤沈下した町全体を10メートルの盛り土でかさ上げする工事や、震災前の三倍ほどの高さで作られる防潮堤などです。
ただし、復興事業では環境アセスメントは行われないので、通常時であれば十分な調査や対処がされるはずの地域の財産である希少種も、その存在が十分把握される前に消えてしまう可能性があります。そして、地域の住民の方々が十分に議論をなされたとは言い難い状況のまま、誰が望んでいるのかよくわからない事業もあります。NACS-Jは、震災後に沿岸の海岸植物群落調査などを実施し、地域の環境をいかした復興をすすめるべきと考え、意見書を提出してきています。
 
 
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▲陸前高田市のかさあげ工事(左の白っぽいものは、土砂を運ぶベルトコンベア)。
 

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▲気仙沼市の野々下海岸に建設中の防潮堤。左の内陸側にはもう少し緩傾斜の部分が背中合わせのようにつくられる。

 
これまでの調査で、震災後にできた湿地に絶滅危惧の植物が芽生えて生育していることもわかりました。しかし、その生育地の一部に復興道路建設や農地整備が行われるため、工事が目前に迫った4月、それらの植物の緊急避難をさせました。
4月といえば東北ではまだ春は遠く、前年に記録した植物たちもまだ泥の中で眠っています。前年の記録を元に“泥”の状態で、近くの集落の湿地に、地元の会員や県内の研究者にご協力いただき移動させました。
また、移植先の湿地の見守り手を増やし、自然を活かした復興の実践として田んぼの復活を働きかけたところ、地元の若者達が立ち上げたNPOが中心になって市民参加の酒米づくりが始まりました。
 
というわけで、今回の調査は、移植後の絶滅危惧種の植物と田んぼのようすを調べることが大きな目的の一つでした。
田んぼには、青々と元気な苗が並んでいました。地元や遠方から作業に参加してくださる皆さんのご尽力で雑草も目立たず、カエルや水生昆虫のマツモムシの仲間が泳ぐ姿も見えました。トンボもたくさん飛び交っています。
 
一方、湿地は、春に移植作業を行った朱宮がため息をつくほどに人の背丈を超すガマが広がっています。こんな中で、絶滅危惧植物たちは無事に生育できているだろうかと、みんなで探してみると…。環境省レッドリストで絶滅危惧II類(VU)のミズオオバコ(下写真)、ミズアオイの姿を無事に見つけることができました。緊急避難は、なんとか成功したようです。
今後も、モニタリングを続けます。
 
▼花を咲かせていたミズオオバコ

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▲左:ミズオオバコの花を見つけてほっとした表情の朱宮。右:手前が復田したたんぼ、奥が移植地。右からNACS-J・朱宮、このプロジェクトにご協力くださっている地権者の阿部さん、慶応大学大沼教授、南三陸町役場平井氏。
  
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▲移植した植物の調査手法について打合せをする宮城大学・神宮司さんと朱宮。
 
 
 
 
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宮城県で最大規模の防潮堤が計画されている砂浜である気仙沼市小泉海岸にも行ってきました。写真は、防潮堤計画についてヒアリングする大沼教授。海には多くのサーファーが訪れていました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
▼小泉海岸には、防潮堤の大きさを示す印が付けられていました(赤丸の中に印があります)。201407koizumikaigan.jpg
左右をつなぎ、高さの目印に立っている自分の視線まで高さを伸ばすと、断面は下写真の赤い線のような感じでしょうか。中央は天端の幅を表しています。この高さで砂浜の手前から向こうの端まで、さらに右手の川につながり、上流部まで防潮堤は計画されています。
丘の斜面に設置された防潮堤の最大高の目印の位置から撮影しているので、見えている景色ほぼすべてを覆い尽くす規模であることがよくわかりました。
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南三陸町の入谷(いりや)地区では、「人と自然のふれあい調査」を行いました。
「ふれあい調査」は、地域の方々に集まっていただき、なつかしい音や匂いなど五感に記憶されてきたものを挙げていただきながら、人と自然がどんなふうにふれあってきたかを調べ、今後の地域の自然保護に役立てていこうという調査です。
入谷地区は、少し内陸に入った里やま風景が広がる地域で、これまでこの地区で何度かの集まりを行ってきおり、その中で「食」についてのキーワードがたくさん挙がってきていました。
そこで、今回は地域の農業について詳しい武澤かき子さんにスペシャルゲストとして話題提供していただいたところ、集まった皆さんからも「そういえばこんなこともあった」「あのときはこうだった」とたくさんの思い出話をお聞きすることができました。
 
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▲写真はふれあい調査のようすと、今回参加してくださった入谷地区のみなさん。
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