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活躍する自然観察指導員 「カタクリの会 代表:瀬川強さん」

2016.04.20
活動報告

1978年から始まったNACS-J自然観察指導員講習会。2015年3月には第500回を迎え、これまでの登録者数は2万8000人になりました。「自然観察からはじまる自然保護」を胸に活躍する指導員の方の取り組みや想いを紹介します。


市民からの提案を国の政策につないでいく

自然観察指導員No.00789
カタクリの会 代表 瀬川 強さん

岩手県花巻市出身の強さん。2度のヒマラヤ・トレッキングを経て「本当の豊かさとは何か?」と考えはじめていた29歳の時、友人と渓流釣りに訪れた西和賀町で一面に咲くカタクリに魅せられ移住を決断した。指導員講習会はヒマラヤに一緒に行った友人に誘われ26歳で受講。「当時は普通の会社員で保護への意識はそれほどなかったんですけどね……(笑)」

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活動団体をつなぎ粘り強く活動

豊かな生態系が残る国有林の自然保護区をつなぎ、野生生物の移動経路をつくりだす『緑の回廊』。効果的に森林生態系を保全するため林野庁が設定し、国の生物多様性保全に重要な役割を果たしているこのしくみのもとになった『グリーンベルト構想』は、東北地方の市民運動の中から生まれてきた。

岩手県西和賀町に住む瀬川強さん(61)は、グリーンベルト構想の提唱者のひとり。30代前半に趣味の野鳥観察で、当時岩手県では『幻の鳥』と言われていたクマゲラを追いかけ入った森で、ブナの天然林が伐採されゆく現状に直面した。クマゲラには出会えたものの、その生息地は伐採の危機に直面している。森で出会ったメンバーとともに、クマゲラ保護の方法を検討する中で生まれてきたのが、残された生息地をつなぐグリーンベルト構想だった。

「1980年代後半には、ブナ林保護を求める声が白神をはじめ東北各地で上がり始めていました。でも地域ごとに成果はバラバラ。グリーンベルトはクマゲラを含む野生生物の生息地をつなぎ効果的に保全することを目指したものですが、人の活動もこれでつなげばより大きな力になるのではないかと思ったんです」。

さまざまな会議や会合にできる限り参加し構想を訴えながら、各地の市民団体の横のつながりづくりに奔走し、89年にはグリーンベルト推進連絡協議会を発足させた。同年、岩手県の市民団体連名でグリーンベルト設定の要望書を林野庁に提出。その後も粘り強くあちこちで提案活動を続けてきた。その提案が、当時新たな森林管理手法を検討していた林野庁青森営林局(当時)の目に留まり、95年、提案を取り入れた東北の原生的なブナ林を結ぶ「奥羽山脈樹林帯構想」が発表された。強さんをはじめ東北各地の市民団体の粘り強い活動が、国の政策に結びついた瞬間だった。

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観察会で聞いた参加者の声も踏まえ発信していく

グリーンベルトの提案活動を行っていた90年、強さんは自然観察会を主な活動とするカタクリの会を発足させた。発足の背景には、強さんがある会議でグリーンベルト構想を発表した際に受けた『ひとりで何ができる!?という批判があったという。

批判に打ちのめされ帰宅した強さんを家で待っていたのは、たまたまその日に自然観察指導員講習会を受講してきた妻の陽子さん。強さんの話を聞き、『ひとりじゃなくて、二人でやればいいじゃない。二人で自然観察会をやろう』と話し、カタクリの会が発足した。

第一回観察会は、夫婦と友人ひとりの3人。翌月は友人が増え10人ほど。それから毎月、深い雪に包まれて残された西和賀町の自然の魅力を二人で地道に発信してきた。参加者は徐々に増加。発足当初、町では観光資源とみなされていなかったカタクリの大群落も次第に注目されるようになり、北上や花巻、首都圏からも参加者が集まるようになった。今では、カタクリが咲くころの参加者は定員を大きく上回り70人以上にもなる。

観察会を続けるのは「ひとりでも多くの人に、現場に来て本当の自然を知ってほしい」という想いがある。樹林帯を分断するように計画された岩手の山岳横断道計画を知った時は、予定地で一般市民向けに観察会を連続開催し森の豊かさを発信。それと同時に、県会議員らに現地を見に来るよう片っ端から電話をかけた。

議員の党派に偏りが出ないようになるまで声をかけ続け、超党的な状態になってから予定地に案内し、自然の豊かさや、道路維持を困難にする冬季の積雪の多さ、急峻な地形を見せた。「計画を決める議員はほとんど現場を見たことがありません。実際に現場を知った上で判断してもらいたかったのです」。横断道計画は2000年に凍結が決定した。

「保護活動で大事なのは、ブレない心だと思います。開発に疑問を呈するような活動は、地元から批判を受けることもありました。ただ、次の世代により良い自然、より良いしくみを残したいという想いは変わりません。数年前、高校生たちと山岳横断道の予定地だった場所に出掛け、そこで当時の話をしたら、誰ともなく拍手をしてくれてね、『あぁ、よかった』と。私がブレずに発言してこれたのは、徹底して、自分でフィールドを歩き、現場を見続けてきたからだと思います」と振り返る。

観察会を続けるもうひとつの理由を、強さんとともに会の事務局を務めてきた陽子さんが教えてくれた。
「観察会でフィールドをみんなで見ることで、発言の重みが増すと思うんです。観察会に参加した大人や子どものたちの声も踏まえて、何かの時に発言できるでしょう? だからこそグリーンベルト推進の時も、その後、強さんがさまざまな公的な委員を務めるようになって忙しくなっても、観察会は続けたかったの」。

みんなで観察することの意義は、やはり大きい。とは言え、準備から会報づくりまで手間のかかる観察会。25年も続けられた理由を尋ねると「離婚しなかったことでしょうね」と強さんは笑う。

「あまり肩肘張らず、まずは夫婦で、そして家族で、たまにケンカしながらやればいい。これからも自分の足元をしっかり見つめ、魅力を周りの人に伝えていきたいと思います」

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会報『自然保護』2015年5・6月号特集「輝け! 自然観察指導員」より転載

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