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東日本海岸調査~東日本大震災と防潮堤計画

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2013.03.04

東日本大震災から2年ー東北はいま

東日本大震災から2年ー東北はいま
被災地の人々・自然の想い
 
東日本大震災から2年、被災地の自然環境の状態を伝える報道はほとんどありませんでした。
今、被災地で加速する復興計画には、地域の自然環境や土地の成り立ちを無視した計画も少なくありません。
NACS-Jは生物多様性保全と持続可能な地域の復興に役立てるため、海岸の自然と、人と海とのふれあいを調べる東日本海岸調査を実施してきました。
その調査報告と、被災してもなお自然を守る活動を続けているNACS-J会員の方々の想いをお伝えします。
 

●東日本海岸調査からみえてきた海辺の自然●
 
■市民調査による海岸植物群落調査
2003~07年に調査した118海岸と、新たな調査地23海岸、合計141海岸(青森県から千葉県の太平洋岸)を延べ268人の市民の協力のもと調査しました。
 
津波は海岸そのものの形を変えた


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津波は多くの砂礫浜を狭めてしまったようです。浜が狭まったと報告されている海岸は、141海岸のうち約半数の72カ所の海岸でした(右上グラフ)。
そのうち、11カ所では、砂礫浜そのものが消失し、その原因の多くは、地盤の沈下と浸食でした。津波の引き波で、砂礫浜が浸食され、浜の縮小ですむ場合と、ひどいときは砂礫浜ごとなくなる場合もあったようです。
またおそらく地盤沈下の影響だと思いますが、浜の内陸側に新たに後背湿地*ができた海岸は、20カ所ありました。
*後背湿地:海岸の砂丘や砂州などの背後(内陸側)に広がる低湿地。
 
堤防などの建造物の弱さを露呈
約60%の海岸で人工物の破壊が報告され、津波に対する堤防や護岸などの人工物の弱さも示されました。護岸や突堤、防波堤など、堅牢な建造物に限っても、それらの建造物の少なくとも60%以上に部分的な破壊が見られました。過半数の海岸で、コンクリート製の建造物が津波に耐えられなかったようです。
 
松林については、被害がほとんど見られなかった松林は約40%、一部松が残っているのが約20%、幹折れが見られたり根こそぎ流された松林は約30%となりました。松林は津波に耐えられれば防災に役立つかもしれませんが、幹が流されるとそれ自体がより大きな被害を引き起こす可能性があります。松林があった場所が地盤沈下し水がたまっている海岸は約10%ありました。松林のほとんどが飛砂や潮害防止のためにかつて植林されたものです。人為的につくられた松林も津波には弱かったようです。
 
海岸植物は外来種が増加
海岸植物に対する影響は、今回の調査からはほとんど見られませんでした。今回の調査地点のうち118カ所の砂礫浜で震災前に調査が行われていました。それらの118地点で、指標とした34種の海岸植物の平均出現数は、震災前で7.32種、震災後で6.61種でした。
 
種数としてはほとんど変化はみられませんが、外来種と在来種とではやや違いがみられました。指標とした海岸植物のうち、外来種5種のみの変化は、震災前で平均出現数は0.44種であったのに、震災後は0.94種と大きく増加。一方、在来の海岸植物の出現数は、平均6.87種から5.66種と1種ほど減少していました。
 

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■植物群落RDB調査
 
希少な植物群落は消失を免れていた
青森県から千葉県までの沿岸の、植物群落RDB(レッドデータブック)*に記載された177群落(左地図ポイント地)のうち67群落が津波をかぶっていました。
今回、それらのうち44群落の調査を行いました。植物群落RDBに指定された群落は、崖上の群落や社寺林が多く、津波の影響を受けて破壊あるいは消失していた群落はあまりありませんでした。蒲生干潟をはじめ、河川の河口付近や凹地の塩沼地、塩生湿地などの群落は、一部に大きく変化していた群落もありましたが、小舟渡平などのように、ほとんど変わらない塩沼地もありました。
 
今回調べた範囲では、植物群落RDBに記載された群落のほとんどは、津波の影響を受けなかったか、受けても地形改変を伴わなかったため変わらず残されていました。
*1996年にNACS-Jが指定した、保護上重要な危機に瀕した植物群落のリスト。
 

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■ふれあい調査

 

東松島市、いわき市、八戸市、九十九里町、名取市、南三陸町の各地で「五感による自然とのふれあい」のアンケート・聞き取り調査を行い、160名から1000に及ぶ「海とのふれあいの記憶や思い」を集めました。
 
特徴的なのは、嗅覚や視覚を中心に、聴覚、味覚、触覚などの五感について、いずれも鮮烈な印象が多く挙がっていることでした。この鮮烈さは、地域の人たちの海岸に対する積極的、能動的な働きかけと密接に結びついています。
 
植物関係で、「ハナマスの実を食べた味、香り」「海藻の干し上がった時の独特の香り」「昆布をその場で食べた味」、動物関係での「タコが夏休みの時に捕れるんですよ。タコは食べた貝殻とかをね、自分の巣の周りに盛ってあるんですよ」「ウニを焼いたり、タコを焼いたり」「ハゼ釣りの舟」などの言葉は、海岸での採取活動であり典型的なマイナー・サブシステンス(遊び仕事)から出てきたものです。
また、「夏休みが来るとほとんど半日海にいた」「シロツメグサのくびかざり」など、海は子どもたちの純粋な遊びの場でもあり、「カキ剥き」「干物づくり」「イカ釣り船の出航風景、エンジン音」などの言葉からは、人間の生業の場でもあることが伝わってきます。
 
生業から遊び仕事、子どもの遊び、といった海岸での積極的で能動的な活動が、鮮烈な印象となって出てきているようです。全体的な印象の鮮烈さに関しては普遍的であり、具体的な営みに関しては、動植物の種類などの共通性がありますが、その営みのあり方に関しては、地域の多様性が出ています。このような鮮烈な海岸とのかかわりは、「あんどん松はシンボルなので残してほしい」「私たち子どものころの貞山堀は、宝箱のような遊び場所でした」といった言葉からも分かるように、具体的、シンボル的な存在を今後も残して大事にしていきたいという思いにつながっているようです。
 
特に防潮堤などに関しては、下記のコメントのような思いも聞き取り調査であがってきています。このような地域の人達の思いを、今後の地域計画、特に復興計画に反映していくことが大きな課題です。

 
「堤防ができると、波も風も違う。砂がたまらなくなって、無くなった。昔は砂浜だった。」
 
「人間が自然災害を力で防ぐってのは、もう限界。むしろその中で上手に自然とどう付き合っていくかっていう、そういう考え方にした方がいい。」
 
「高い堤防つくると実は、海が見えなくなる。海が見えなくなると津波とかに気づかないで、逆に逃げ遅れたり、さまざまな問題が起きる。」
 
「20mある波を見て、自然を人間が止めるのは無理だと思った。あれ見た人は8.7mだとかの防波堤の発想は出ない。」

 
 
(東日本海岸調査委員会)
 

※東日本海岸調査報告書全文は下記PDFをご覧ください。

 

 
 

被災地で自然を守り続けるNACS-J会員の願い

震災以降もモニタリングサイト1000里地調査や東日本海岸調査の調査員としてご協力をいただいたり、自然観察指導員として活動されている会員の方々に、これまでの2年間の想い、活動をつづっていただきました。

■宮城県名取市:大橋信彦さん(名取エコミュージアム研究会)

 
ーーー津波で自宅が流され、現在は名取市のアパートに暮らす大橋信彦さんは、地元で長年、海浜植物で宮城県の絶滅危惧種のハマボウフウを守る活動をしてきた。ご自身が被災してもなお震災直後から海辺の生きものたちの様子を見に行き、会の活動を再開させた。市民の憩いの森になっていた海岸林の復元にも力を入れている。さらにNACS-Jの東日本海岸調査にもご協力をいただくなど、海辺の生きものたちを守るためたゆみない活動を続けている。ーーー
 
復興のヒントは生きものの営みの中に
大震災からまだひと月もたたない一昨年の4月5日、テレビ局の依頼で足を運んだ名取市閖上海岸の海浜植物保護区で、私は小さな植物の芽を見つけました。春の陽を浴びてキラキラ光っているその芽は、紛れもなくわたしたちが守り育ててきたあのハマボウフウの新芽でした。押し寄せる大波の力にも耐え、小さな芽は砂の中でひたすら命の火を燃やしていたのです。
 

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▲ 左:ハマボウフウ。右:2011年4月5日に見つけた新芽。
 
その年の秋、被災直後から住んでるアパートの近くを散歩していた私は、増田川に架かる橋の上から大きな魚が泳いでいるのを目にしました。サケです! あるものは単独で、またあるものはつがいになって、荒海を越え、未だ震災の爪痕が残っている川をサケたちは懸命にのぼって来たのです。後で知ったことですが、彼らは上流の高舘吉田地区を繁栄と安住の地と定めていたようです。
 
 震災からの復興が叫ばれるいま、私たちは生きものたちの営みからそのヒントを得ることができるのではないでしょうか。震災からの復興とは私たちの暮らしの復興であり、暮らしの復興とは心の復興と共にあるものだと思います。そして、心の復興とは失いかけた優しさや逞しさを自分の中に呼び戻すことであり、その力はまさに生きものたちの生きる姿から得られるものではないでしょうか。
 
 「災いを転じて福となす」ということわざがありますが、私たちは千年に一度の大きな災害を、生きものたちと共生する社会の創造に向けた千載一遇のチャンスと捉える知恵や勇気を持ちたいものです。

 

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▲増田川を遡上するサケ。
 
 
 
■宮城県南三陸町:鈴木卓也さん(南三陸ふるさと研究会)
 
ーーーモニタリングサイト1000里地調査(以下、モニ1000)の調査サイト「波伝谷」の調査員をしてくださっている鈴木卓也さん。営んでいた民宿と本宅ともに津波に流されるなど、大きな被害を受けたにもかかわらず、「津波による環境変化をしっかり記録したいので調査は続けたい」とのご連絡をいただき、震災以降もモニ1000の調査、そして東日本海岸調査にもご協力をいただいている。民宿跡地に設置したプレハブ部屋を拠点として、地域の自然に関わる活動を続けている。ーーーー
 
復興によって失われゆく自然
宮城県南三陸町。三方を山に囲まれ、東に太平洋、中心部に志津川湾を抱く、典型的なリアス式海岸の町です。その一角、波伝谷地区を調査サイトとして私たちがモニ1000に参加したのは2008年秋でした。順調に調査を重ねてきましたが、東日本大震災による大津波はこの地域を飲み込み、波伝谷集落も壊滅しました。
 

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▲津波によって破壊した波伝谷集落。
 
 
震災直後は調査のことなど思いも及ばなかったのですが、おびただしい瓦礫の散乱の中でも巣づくりに励むスズメたちを目にして、こんなときこそ記録を残すべきと思い直し、震災後も一部調査を継続しています(*)。
 
震災から2年を経て実感するのは、原発事故による影響の少なかったこの地では、津波による自然環境への影響はそれほどでもなかったということです。鳥も動物も、むしろ津波以前よりも生き生きと暮らしているように思えます。考えてみれば当たり前のことで、千年に一度の頻度で繰り返されてきた自然現象としての大津波、この地の自然にとっては折り込み済みのことだったのでしょう。
 
逆にいま、復旧・復興の名のもとに、津波よりもはるかに大規模な改変が人の手によって、この地域の自然に加えられようとしています。従来の倍ほどもの規模の巨大な海岸堤防の建設は、海と人との結びつきを精神的にも物理的にも疎遠にするでしょう。その堤防によって護られるのは、高台移転によって人が住まなくなった土地です。河川沿いも長大なバック堤が上流まで設置される計画で、渚の生きもの、汽水域に暮らす生きものはどうなってしまうのか、養殖漁業への影響はどうなのか、自然の豊かさの中で成り立ってきたこの地域の暮らしが根こそぎ破壊されてしまうのでは、という恐れを感じざるを得ません。
 
地域の自然を見守ってきた人間として、できるだけ声を挙げていきたいとは思いますが、未曾有の大津波によっても失われることのなかったものが、いまここにきて人の手によって失われようとしていることに、正直うんざりしていることも事実です。「コンクリートから人へ」は、この国ではまだまだ遠い理想なのでしょうか?
 
*参考:「モニタリングサイト1000里地調査ニュースレター」
 

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▲瓦礫の中で力強く生きるスズメ

 

 
 
■福島県福島市:星一彰さん(福島県自然観察指導員連絡会)
 
ーーー「うちの庭にはね、ウグイスカグラとかヤマボウシがあって、毎年、孫と食べていたんですよ。でも震災以降、目の前においしそうに実っていても孫には食べさせてあげられない。外で遊ばせることも随分なくなって。目の前に自然があるのにね……」自然観察指導員として、長年、福島で自然保護活動をし続けてた星一彰さん。原発事故の放射性物質拡散により、それまでの活動も生活も一変してしまったという。震災以降、福島の指導員さんたちと協力して放射性物質の影響を調べるほか、福島の自然を守るため精力的に活動している。ーーーー
 
様変わりした自然観察会
私たちの会の主な活動である自然観察会は、大震災時の福島第一原子力発電所から放出された放射性物質の影響によって、行政や学校からの依頼は皆無となり、独自に計画してきた事業も大部分を中止とせざるを得ませんでした。
開催できたのは、放射線量が比較的低い会津地方や裏磐梯などの地域と隣接県での自然観察会でした。震災以降、自然観察会は大きく様変わりをし、常に放射線量を意識しなければいけないものとなったのです。

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▲放射性物質の影響が少ない吾妻連峰のブナ林内での自然観察会(2012年10月13日)。
 
エネルギー問題に翻弄される福島
震災以降、注目される自然エネルギー。福島県は日本一の地熱エネルギー保有県とPRされ、地熱発電所建設問題が発生しています。
福島県では、1970年代に浄土平への地熱発電所計画がありましたが、当時の環境庁が国立公園内での建設は許可できないとし、中止された経緯があります。しかし、県のエネルギー課は、昨年、福島県知事名で関係者を集め地熱資源に関する意見交換会を開催しました。この会に私たちも参加し、自然環境への悪影響を及ぼす多くの理由を掲示し、地熱開発に反対しました。
浜通り地区の原子力発電所や会津の只見川水系でのダムによる電源開発など、震災以前から福島の自然はエネルギー開発のために壊されてきました。その上、今回の原発事故によるあまりにも甚大な被害……。
もうこれ以上、自然へのダメージを与えるようなエネルギー開発は許しがたいと思っています。
 
放射性物質の生態系への影響
現在、環境省をはじめ大学や研究機関などが放射性物質による生態系の変化を調査していますが、震災前のデータが不足しているために過去との比較が極めて難しいと言われています。
私たちは1960年代から、県内各地の河川生態系の理解のために、生物指数や多様性指数などを算出する調査を実施してきました。震災以前の調査では、川の水質のpH値の変化(中性化)などから、両指数ともに上昇しつつありました。つまり、生きものの数も種類も増え、生きものにとって暮らしやすい環境になりつつありました。
しかし、震災から約1年半後、福島市荒川で調査を実施したところ、生物指数は上昇し続けていましたが、多様性指数が著しく低下しており、両指数の増減はほぼ一致していた過去のデータとは異なる結果となりました。このことは、生態系の破壊を意味しているのではないかと考えています。今後は、他の河川でも継続的に調査し、放射性物質の影響を確認していきたいと思っています。
 「原子力は電力として使うには無理のあるエネルギー」という原子力の研究者・高木仁三郎氏の言葉通り、今こそ私たちは原発ゼロに向かって努力すべきです。
 

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▲放射性物質の影響を調べている荒川源流部・浄土平。
 
 
 
(会報『自然保護』2013年3・4月号より転載)

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