赤谷の森をめぐる年表

1916年 日本酢酸製造(株)赤谷工場が設立され、赤谷川上流一帯が木酢液採取のために伐採される。工場は1932年に閉鎖。
1942年 永井地区の自然林を伐採し木材加工を行っていた法師官行製材所が閉鎖。
1949年9月 上信越高原国立公園に指定。
1950年 法師温泉の私費により「平標山の家」が建設される。
1957年 林野庁「国有林生産力増強計画」策定、拡大造林が全国に広がる。
1959年 川古温泉より約4km下流に相俣ダム(赤谷湖)完成。
1979年9月 月夜野営林署が廃止され、沼田営林署に統合される。
1983年12月 新治村議会「三国山系開発促進計画」を採択。
1988年 三国山系が林野庁前橋営林局によって「ヒューマン・グリーン・プラン」の候補地に選定。次いでリゾート法の重点整備地区として「三国高原猿ヶ京森林空間総合利用整備事業計画」指定を受け、国土計画(株)により「猿ヶ京スキー場(仮称)」が計画される。
1990年6月 「新治村の自然を守る会」結成。
1990年11月 「守る会」、新治村と村議会に「三国高原猿ヶ京森林空間総合利用整備事業計画に含まれる三国高原猿ヶ京スキー場(仮称)の白紙撤回を求める要望書」を提出。
1991年1月 日本自然保護協会・「守る会」、猿ヶ京スキー場計画地一帯を視察。イヌワシの並列飛行を確認。日本自然保護協会、「守る会」に対する猛禽類調査活動研修開始。
1991年8月 「守る会」、「新治村の自然を考えるシンポジウム」開催。
1991年9月 「守る会」村民調査団を結成して猛禽類調査活動研修開始。
1993年4月 建設省関東地方建設局川古ダム工事事務所開設。
1993年10月 日本自然保護協会・「守る会」、川古ダム計画地においてイヌワシの営巣地を発見、共同での生態調査開始。
1993年12月 日本自然保護協会、林野庁前橋営林局に意見書を提出。
1995年4月 日本自然保護協会・「守る会」、法師沢でクマタカの繁殖を確認。
1998年12月 林野庁、「国有林野の管理経営基本計画」を策定し公益的機能を重視する国有林の比率を8割に増加。
1999年12月 日本自然保護協会・「守る会」、報告書『イヌワシ・クマタカの子育てが続く自然を守る−群馬県新治村・三国山系大型猛禽類生息状況報告』を発行。
2000年1月 コクド、「猿ヶ京スキー場」計画中止を表明。
2000年9月 建設省関東地方建設局、「事業評価監視委員会」において川古ダム計画中止を決定。
2001年3月 林野庁関東森林管理局、「緑の回廊 三国線」を設定。
2001年3月 日本自然保護協会、自然保護講座「自然を活かした地域づくりを考える」を新治村で開催(環境事業団委託事業)。

2003年4月

「(仮称)赤谷プロジェクト」第1回準備会議。以後、2003年5月、7月と3回開催。
2003年9月 「赤谷プロジェクト地域協議会」発足。第1回地域説明会開催。
2003年11月 赤谷プロジェクト2003年度第1回企画運営会議開催。
2004年3月 林野庁関東森林管理局長と日本自然保護協会理事長が、赤谷プロジェクト地域協議会立ち会いの下、「三国山地/赤谷川・生物多様性復元計画推進のための協定」を締結。
2004年4月 林野庁赤谷森林環境保全ふれあいセンター開設。4名の自然再生指導官が赴任。
2004年8月 「赤谷プロジェクト自然環境モニタリング会議」を設置。初年度は「モニタリング基本方針」を策定。
2004年9月 小出俣エリアに自然林復元試験地(スギ間伐)第1号を設置。
2005年10月 月夜野町・水上町・新治村が合併して「みなかみ町」が誕生。
2005年10月 「新治地区茂倉沢治山事業全体計画策定調査委員会」を設置。茂倉沢での新たなコンセプトに基づく治山事業に着手。
2007年2月 「新治地区茂倉沢治山事業全体計画策定調査委員会」が茂倉沢で通称「2号治山ダム」の一部撤去を決定。
2007年5月 「旧三国街道フットパス網計画」開始。2008年8月まではアクセンチュア(株)の助成事業として進める。

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