連載コラム『赤谷の森から』
2004年10月掲載分

『自然再生はゆっくり』2004.10.2

スギの人工林の中に差し込む一筋の光。間伐をしない暗い人工林では、広葉樹は育たない(林野庁提供)

 豊かな自然林が広がる赤谷の森も、所々にスギやカラマツを切れ込むように植えた過去がある。プロジェクトでは、この人工林をブナなどからなる自然林に戻したい。めざすのは、多様な生き物がすめる森づくりだ。
 人工林は成長が旺盛で枝葉がすぐに広がるため、暗い林になってしまう。通常の人工林管理でもモヤシのような細い木にしないよう隣接した木を間伐する。
 そんな人工林の中で、ブナなどの広葉樹が芽生え、成長するにはゲーテではないが、もっと光が必要だ。  プロジェクトの仲間たちとは、「間伐の手法を工夫することで、人工林の中に広葉樹が入り込んでくるようにできるのでは」と話し合っている。人工林の中に大きな空間を作り出すと、イヌワシなどの大型猛禽類が狩場として利用しやすくなるという。
 しかし、単に人工林を自然林に置き換えればよい訳ではない。人工林をいっぺんに伐採すると、大きな環境の変化を生じることになる。時間はかかるが、ゆっくりと人工林を減らしていき、自然林に誘導していきたい。
 単純に間伐の面積を広げるだけでは、弊害も発生する。昼間人工林の中で休んでいるフクロウが、イヌワシの餌にされることもあるらしい。生態系は思いのほか、複雑なのだ。
 生物多様性の高い森を取り戻すには、どうすれば良いのか。様々な角度から検討し、研究を進めていきたい。
(林野庁赤谷森林環境保全ふれあいセンター 神林弘之)


『木とキノコの親密な関係』2004.10.9

赤谷の森で見つけたドクベニタケ。日の当たらない小さなキノコだが、樹木にとっては重要なパートナーだ(林野庁提供)

 森林に携わる仕事がしたくて林野庁に入り、半年が過ぎた。幸運にも赤谷の森を管轄する職場に配属され、この森を頻繁に歩くようになった。
 季節は秋。広葉樹が多い赤谷の森では、紅色、藍色、レモン色と実に様々なキノコと出会う。林野庁の中では異色だが、大学ではキノコの研究をしていた。だから、視線がついつい足元へいく。
 学生のころからあちこちの森を歩いたが、森が変わればキノコも変わる。樹木とキノコに親密な関係がある証拠だ。
 たとえば、ミズナラの根もとに生えるマイタケは、樹木から栄養を吸いとって徐々に腐らせる。では樹木の敵かというと、実は違う。マイタケなどの木材腐朽菌は、樹木が生育するうえで不可欠な土をつくり出す。
 一方、写真のドクベニタケは、樹木を腐らせることはなく、ふつうのキノコとはちょっと違った役割を果たしている。
 ドクベニタケは菌糸を樹木の根の中に侵入させ、養分をもらう。その代わり、地下に張り巡らした菌糸から、水やミネラル分を吸い取って樹木に与え、根を病害菌から守っている。
 ほんの数aのキノコが、巨大な樹木の命を支えているのだ。
 赤谷の森では、樹木や動物などの生物多様性を回復させる取組みが始まっている。これまであまり日の目を見なかったキノコたちに、スポットを当てるのが私の初仕事だ。
(林野庁利根沼田森林管理署 目黒美紗子)


『サルの食害 人間が原因』2004.10.16

奥山でブナの木に登り、葉や花芽を食べるニホンザル。こうした本来の姿を取り戻したい(安田剛士さん撮影)

 この夏、周辺集落の人々を対象にした赤谷プロジェクトの説明会では、 「サルが畑を荒らして困っている」という声が相次いだ。
 母と子を中心に数十頭の群れで暮らすニホンザルは、植物や昆虫などを食べながら、森の中を一年中移動している。だが、近年は森に隣接した畑の作物を食べ荒らす害獣と見なされるようになった。地元で山仕事に長く携わっている方に話を伺うと、三、四十年前は相当、山奥でないとサルを見かけることはなかったと言う。一体、何が起きているのだろうか。
 真相はわからないことだらけだが、確かなのは、山奥まで林道が延び、自然林が伐採され人工林に変わったことと、里では薪炭林や茅場に人が入らなくなったことだ。数十年でサルの生息環境は一変した。
 赤谷の森がある新治村には、全国でも珍しいサル餌付け禁止条例がある。条例ができる前は、観光客が道端のサルに餌を与えていた。人の食べ物の味を覚えたサルが畑を荒らす事態を生んだのだ。山奥でも人里でも、サルの暮らしを変えたのは人間である。
 赤谷の森をいま以上に豊かにすることは、野生動物が本来の状態で暮せる環境を復元することにつながる。そして周辺集落も活力を盛り返し積極的に森と関わる暮らしを甦らせるとき、サルは森へ帰り、人間との適切な距離を保てるのではないか。
(赤谷プロジェクト地域協議会・獣医師 安田剛士)


『自然の感動伝える人材を』2004.10.23

木々の構成を知ることで、森の成り立ちを知る。赤谷の森で行われた自然観察指導員講習会(日本自然保護協会提供)

 赤谷の森で今月初旬、環境教育のリーダーを養成する自然観察指導員講習会を開いた。日本自然保護協会が二十五年以上にわたって各地で進めている二泊三日の講座だ。赤谷プロジェクトへの関心もあって、地元の方々も数多く受講した。
 プロジェクトでは、赤谷の森を上質な「環境教育の場」とする取り組みを進めている。
 野生動物は森の中でどのように暮らしているの?森の上部はどんな様子なの?炭はどうやってつくるの?
 こんな疑問に答えられるよう、自然に負担をかけない観察施設の設置や、炭窯の復元などを予定している。しかし施設だけでは、計画は成り立たない。
 何より、赤谷の森を自らのフィールドとして、里山から原生的な自然まで様々なタイプの森林をくまなく観察し、自然の仕組みや生物たちの暮らしを肌で感じとる。その感動を多くの人と分かち合える活動を地道に進める−−そんな人材が必要だ。
 私は講習会を全国で開催するため、各地を飛び回る毎日だが、東北で森林教育を学んでいた時、ひとつの地を見続けないと分からない自然の移り変わりを楽しんだ。私たちに力を与えるのは、そんな自然の営みである。
 講習会の翌週末、プロジェクトのサポーターとしての活動に参加するために、さっそく赤谷の森を再訪した新指導員がいた。赤谷の森で、腕章を巻いた彼らが活躍する姿が目に浮かぶ。
(日本自然保護協会 木幡英雄)


『ブナが語る 生命のリレー』2004.10.30

倒れた大木の上に芽吹いたブナが、長い年月を経て新たな大木になった。この子が大きくなったころ、赤谷の森はどんな姿を見せてくれるのだろう(林野庁提供)

 この樹に出会ったのは、今年五月のことだ。その日、私は新緑まぶしい赤谷の森で、関東森林管理局による森林生態系の研修を受けていた。研修が終わるころ、講師が一本のブナの大木のまわりに受講者を集め、この樹をめぐる物語を説明し始めた。
 ……ずっと昔、老木が力尽きて倒れた。すると、これまで老木の下で、日陰に耐えてきた木々に変化が生まれた。空から差し込む光を得て、枝を伸ばし、葉を繁らし始めたのだ。
 そしてある時、腐り始めていた倒木の上に種子を落とす。小さな種子はやがて芽を出し、それから二百年近い歳月がたった……。
 幹の回りが二メートル以上もあるそのブナは、根元近くで二股に分かれ、地面との間には子供が通れるほどの三角形の空間ができている。この隙間は朽ちていった木の名残であり、繰り返される森の世代交代をいまに伝えてくれる痕跡だ。
 赤谷プロジェクトの目的のひとつに、多様な生き物たちが暮らせる森の再生がある。それには、気の遠くなるような長い年月がかかる。
 私はプロジェクトに関わることになったネイチャーガイドとして、過去から未来へと続く赤谷の森の語り部になりたいと思っている。とは言っても、四十歳を過ぎた私が見ることのできる森の変化は、いったいどの位のものなのだろう。
(赤谷プロジェクト地域協議会・ネイチャーガイド 長浜陽介)


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