連載コラム『赤谷の森から』
2004年9月掲載分

『「豊かな国有林」再生へ』2004.9.11

 とある盛夏の日、新潟県との県境にある群馬県新治村に、年齢も職種も様々な総勢二十人が集まった。目の前には、今にも朽ち果てそうな小屋。彼らは、この小屋を自らの手で修繕しようと、全国から駆けつけたのだ。
 私たち日本自然保護協会はこの村で、彼らをはじめ数多くの人々の協力を得て、新しいプロジェクトを始めており、共通の夢を実現するため、その活動拠点がどうしても必要だったのだ。

 プロジェクト名は、「三国山地/赤谷川・生物多様性復元計画(AKAYAプロジェクト)」という。その舞台は村の北部に広がる約一万ヘクタールの国有林。この森を流れる清流の名前から「赤谷の森」と、私たちは呼んでいる。

 この森は十キロメートル四方、標高差約千四百メートルで、イヌワシやクマタカ、ツキノワグマなど、絶滅が心配されている大型の猛禽類や哺乳類が住んでいる。彼らの暮らしを支える森は、地元には欠かせない水元・温泉源であり、利根川を通じて関東地方を潤す水源でもある。
 プロジェクトの目的は、かつて自然からの恵みが充実していた頃にあった、自然の健全なバランスを取り戻すことだ。しかし、これほど難しいこともない。
 難題を克服するには、この森に関係するあらゆる人々が共同で取り組む必要がある。そこで、地元有志による協議会に加え、林野庁と私たち日本自然保護協会の三者で、林野庁が管理してきたこの森を共同管理することになった。
 林野庁と私たちの間では、かつて森林についての考え方に大きな隔たりがあった。それが明確になったのが、白神山地(青森・秋田)や知床(北海道)で起きた問題だった。そんな時代を経て共同管理が実現したことは、「日本の森を何とかしなくては」という、私たち双方に対する時代の要請なのだろう。

 この森は、地図のように六つのエリアに分かれている。最上流にある原生的なエリア(1)は、この森の恵みを生み出す”元本”としての機能維持を最優先にする。この地域に合った環境教育カリキュラムを作り、実践できる場(2)も必要だ。そこに人々の交流も生まれてくるだろう。
 地元の水源になっている森(3)の機能回復もめざす。また、地域の歴史的遺産である旧三国街道が通る場所(4)は、街道を自然観察路として再生する計画だ。里に近い林業地帯(5)(6)では、木材生産に生物多様性という観点を加えた手入れを進める。
 そのうえで、エリア全体を森の生き物の調査研究フィールドにし、その結果が適切に地域の管理計画に反映される仕組みを構築する。さらに森の生命線である渓流の生態系をできるだけ分断しない治山の方法も取り入れていく。

 日本の自然保護にかかわってきた私たちにとって、こうした条件を満たすことのできる場は、少し前まで「夢のまた夢」のような存在だった。
 もちろん何十年、何百年とかかる活動である。プロジェクト推進のため、今年三月に結んだ協定は、締結期間を十年単位で更新するもので、国有林でかつてない長期間の取り組みを可能にした。
 プロジェクトは始まったばかりだが、めざす未来を予感させる出来事がすでに芽吹いている。地元の寄り合いでは、この森が豊かだった昭和三十年ごろを、手を振り回しながら熱心に語る地元の人がいた。その話に、「日本の森林をよくしたい」という熱意を持って赴任してきた林野庁の担当者は、熱心に聞き入った。
 小屋再生の一週前には、「本物の自然を」と集まった人たちとともに環境教育ツアーを企画した。一行を迎えたのは、ニッコウキスゲなど夏山の花々と、ブナの巨木からなる森。ここにはうれしいおまけとして、森から湧き出る温泉もある。
 「この恵みがいつまでも続いてほしい」。赤谷の山懐に抱かれた人たちならきっと、こんな私の心のつぶやきを共有してくれるだろう。
(日本自然保護協会 茅野恒秀)
   ◇  ◇
 森林面積が国土面積の三分の二を占める日本だが、近年、その質の低下が指摘されている。どうすれば森はかつての豊かさを取り戻せるのか。再生に向けてさまざまな試みが始まった「赤谷の森」から、プロジェクト参加者がリレー形式で報告する。


『保護協会から”プロポーズ”』2004.9.18

細くとがって整然と並んでいる低い木々がスギの人工林(日本自然保護協会提供)

 赤谷の森はイヌワシが空を舞い、ツキノワグマがすみかとしている自然豊かな国有林だ。しかし、奥山の自然林を伐採し、スギやカラマツを積極的に植えた時代もあった。
 木材需要に応えたものだが、写真のように、人工林は豊かな自然林の中では異質の存在だ。生物多様性のバランスを崩している可能性も否定できず、忸怩たる思いがあった。
 そんなとき、私たち林野庁関東森林管理局に、ある打診があった。日本自然保護協会からで、「この森を舞台に自然の恵みをより豊かにしていく取組みを、地域の人たちとともに始めないか」という壮大なプロポーズだった。
 正直、戸惑った。全国初の取り組みであるうえ、百戦錬磨の日本自然保護協会が要求する内容に果たして応えられるのだろうか?
 だが、迷いはすぐに消えた。国有林は「国民の森林」であり、より良い国有林管理のあり方を私たちも模索していたからだ。赤谷の森でもイヌワシやクマタカの繁殖率が落ちているという。生物多様性の回復策は急務で、持続可能な地域社会づくりのためには森林の有効活用も求められるだろう。
 私たちは、このプロポーズを快諾した。課題山積で難しいが、それだけにやりがいもある。熱意と誠意と勇気を持って、この仕事に取り組んでいきたい。
 (林野庁赤谷森林環境保全ふれあいセンター 島内厚実)


『「水の民」誇りを守る』2004.9.25

村の水源の森からわき出る清れつな水。関東各地から集まった親子が自然の恩恵をゴクリ(日本自然保護協会提供)

 さわやかな水が体を潤し、やわらかな温泉に心を癒される。私たちが「水の民」であることを実感するひとときだ。赤谷の森から湧き出る水や温泉は、群馬県新治村に住む私たちの宝物である。
 私の家は明治の初め以来、この地で温泉宿を営んできた。この温泉水は、今からおよそ五十年前に降った雨や雪が地中でゆっくりと温められ、時を経て湧き出している。奥山の豊かな自然林があってこその、宝物と言える。
 こんな新治村にも平成初期に、スキーリゾートとダム建設という大規模開発の波が押し寄せた。予定地は村の水源と温泉源にあたる場所で、行く末を案じた地元有志が日本自然保護協会とともに調査した。
 その結果、絶滅が危惧されているイヌワシやクマタカが舞い、子育てをしていることが分かった。そこは私たちの暮らす場所のすぐそばで、身近な自然の豊かさを改めて実感し、失われようとしているその価値の大きさに愕然とした。
 開発計画は、時代の変化もあって数年前に中止となったが、「守った自然をもっと良くしたい」という思いがつのった。それが、赤谷プロジェクトに結実した。
 自分が住む地域の水に自信が持てることは、日本人の誇りのひとつ。だが、こうした場所は各地で急速に消えつつある。それだけに、この自然を次の世代に必ず引き継がなければと思う。
(赤谷プロジェクト地域協議会 岡村興太郎)


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