
上空から見た明治神宮の森。右手の緑地は新宿御苑。
沖沢:明治45年に明治天皇が崩御されると、そのご聖徳をしのぶお宮をつくりたいという国民の要望が高まり、全国40数か所の候補地のなかから、明治天皇とのゆかりが深かったこの地が選ばれたのです。でも、当時のここの状況は、森らしい森はなく、樹木があったのは御苑の部分だけ、全体の6分の1ほどで、あとはほとんどが苗畑や荒地でした。そこで、お宮に必要な鎮守の森をつくらなければならなかったのです。本多静六を中心に、本郷高徳、上原敬二といった当時の林学者たちが集まって計画を立てたのですが、このとき問題になったのが、針葉樹の森にするか、常緑広葉樹の森にするかということでした。ここは関東ロームで土壌が乾燥しており、適潤な水分を好むスギやヒノキには不向きなこと、それと脇を走る山の手線が蒸気機関車だったのと、近くの淀橋に火力発電所や工場があって、スギやヒノキはこの煙に弱いこと。また、このへんの気候に合った樹木は常緑広葉樹ですし、神社の杜ですからしょっちゅう切ったり植えたりするのではなく、自然の力で更新していく森が好ましい。ということで、常緑広葉樹によって永遠に世代を受け継いでいく森をつくろうと考えたのです。
第1段階は生長の速い松を主木にし、その下にスギ・ヒノキなどの針葉樹と、将来を担うであろう常緑広葉樹を植える。およそ50年後の第2段階では、スギ・ヒノキが生長して主木になり、松は負けて枯れてくる。そして100年後の第3段階には、常緑樹が大きくなってスギ・ヒノキは衰退してくる。最終的に第4段階では、ところどころに針葉樹が残る常緑広葉樹の森になり、その後継樹が下に出てきて、あとは自分の力で世代交代していくだろうと。こういう考え方で森づくりをしたのです。

宝物殿敷地(写真:明治神宮)

松の移植の様子(写真:明治神宮)
沖沢:あまり世話は焼きません。枯れた木も基本的にはそのままにしますが、境内ですから見栄えの悪いところは人の手によって切ってふせこんだり、利用できる材は運び出したりします。でも、植えこんだりなんかはせずに、この森が続いていくために必要な若干の手伝いをするだけで、基本的には見守る。台風などで折れた木があれば、根元から切ります。枯れていなければ、萌芽といってそこから芽が出てきます。そのままにしておくと芽が出すぎてひょろひょろして、育たなくなる場合もあるし、一緒に育っていく場合もある。それが参道に近い木であれば、丈夫そうな芽を何本か残してあとは取る「芽かき」をすることもあります。
また、年に2回ほどは、集中的に参道の枯れ枝落としをします。木は自然に伸びていくと、上のほうが豊かになり、下は日があたらなくなります。で、下の古い枝から順番に枯れ、放っておくとその枝は落ちます。人や車に当たると危険なので、それは処理します。参道や沿道の周辺で参拝者に危害を与えないための処理で、これが僕らの仕事のかなりの部分を占めています。
沖沢:木は水分や養分を吸って光合成をして生長します。葉が落ちると、それを分解する虫や微生物がいて、落ち葉を無機質に変えてくれる。それがまた木の養分になるんです。落ち葉を取ってしまうとその循環、サイクルがこわれますから、こわさないように、参道に落ちた落ち葉は集めてすべて林内に戻します。入口の定め書きに、落ち葉、枯れ枝、木の実は持ち出してはいけないとあったでしょう?
この森に僕らがかかわれるのはほんの一瞬ですから、これを最も良好な姿で次の世代に引き継いでいくにはどうするかと考えると、やっぱり見守るという形になってしまう。また、基本的なことは守る必要がある。だから、林内に入っちゃいけないとか、取っちゃいけないといった決まりは守ってほしいんですね。今このような森になったのは、柵も設けてないしロープも張ってないけれど、神社の森なんだから自由に入ったり、取っちゃいけないんだと皆さんが思って守ってくれたから。そのことで木の根や次の世代の木の芽が守られ、この森ができてきたんです。
沖沢:森はものすごくゆったりした時間、長いサイクルの中で動いています。木の本数も減ったり増えたり、樹種も減ったり増えたりしながら、最後に、500年とか600年経ったころに落ち着いた、ゆったりとした姿になっていくんだと思います。
そもそもこの森をつくったときは365種の樹木があったんです。50年経ったときにどうなったかというと、365種が247種に、約100種減っているんですね。だからといって、なくなった樹種を植えることはしない。この森そのものの力で生きていくということですから、淘汰されるものは淘汰される。
木がみんな同級生だから、一部切って植えかえろと言われることもありますよ。寿命が一緒だと一斉に枯れるからって。そんなことはありえない。自然に、競争のなかで、早く負けていくものもあるだろうし、早く負けたもののところには次の世代のものが出てくるだろうし、人工の森ではあるけれど、そうやって自然にいろいろ出てきて、最終的にしっかりとした森になっていくんだと思うのです。
この森は木材生産をする森とは違うので、いかにして早く切るか、とか、この木は何十年で切る、そのあとにまた何を植える、という考え方ではなく、自然の流れにあくまでも沿っていく考え方でやっています。だから、虫が出たら、とりあえず1年待ってみる。虫が木を坊主にしたとしても、次の年にはまた新しい芽が出てくるんです。
沖沢:ここには森をつくったときの考え方をまとめた『林苑計画書』というのが残されています。森の場所ごとに、森づくりの考え方や将来の利用方法などが細かに記載されており、今も参考にしています。昔の人は学問とあわせて経験知というものを兼ね備えていたと思うんです。境内の樹木を見ると、クスの隣にカシ、シイ、そしてケヤキというふうに並んでいて、木々の色合いが目を楽しませてくれるとともに、病気や害虫などへの抵抗性を高めてくれていると感じます。ここはそんな昔からの経験知を学ぶ場にもなっていると思いますよ。
(2010年6月24日 明治神宮にて 聞き手:市川ゆかり)

(おきさわ・こうじ)/明治神宮管理部警衛管理課主幹。
昭和21年青森県に生まれ、39年青森営林局(現・東北森林管理局)入局。その後、林野庁で主に民有林の保護や森林の担手などを担当。平成13年より現職。