くらしと自然のつながり再発見!

自然の恵み・インタビュー 佐原 香 さん

ダム計画を止めて、御柱の山の渓流は残った。
でも、自然保護運動はいま転機かな。

東俣川上流(写真/保屋野初子)

東俣川上流(写真/保屋野初子)

--長野県の下諏訪ダムが、下諏訪町の東俣川に計画されていることを知ったとき、まずどう思いましたか。

佐原:最初に知ったのは、ダム計画が治水ダムから多目的ダムに変更されたという新聞記事(1987年)だったかもしれない。詳しい内容はそのときよくわからなかったんですが、まず、要らないのじゃないかと思いました。どっちにしてもダムは自然破壊やいろいろな問題があるので、諏訪地方の自然保護運動の仲間たちと、ダメでもともと、とにかく反対運動しよう、と始めたんです。そのうちに岡谷市の水道用水の開発目的が大きいこともわかってきた。

--「環境会議・諏訪」という、諏訪地方全域を対象にした自然保護団体のメンバーとして活動していたのですか。

佐原:そうです。諏訪地方では60年代ごろから次々と観光開発計画が持ち上がったので、団体もそのたびつくりなおしては続けてきたのです。まるでモグラ叩きのよう。下諏訪ダムの前は、やはり下諏訪町の山の上の「まないた平」という所に計画された町営ゴルフ場に反対して、これは1年ぐらいで潰れました。そのかたが付いたので、ダムに取りかかろうということになったんです。ダム計画は当初、岡谷市の横河川に計画されたものの断層などがあって無理だとなって、次に下諏訪町の砥川(本流)を調べたがこれも同じく無理だとなって、最後に東俣川ということになった。運動をやる中でわかったことです。とにかくつくりたかったのではないですか。

--東俣川と山とは、佐原さんにとって馴染みのある場所だったですか。

佐原:霧ヶ峰高原のすぐ下にあたるので行ったことはあったんですが、馴染みがあるというわけではなかったです。運動が始まってから現地を見ようということで、仲間とかなり上流まで遡ってみたところ、流量は安定しているし、小さな渓流だし、電気伝導度を調べたら非常に数値が小さくてきれいな水なんですね。霧ヶ峰に降った雨や雪が、(八島、車山)湿原に浸み込んでろ過されて出てくるからいい水だと思うんです。流量が年中安定している証拠に、諏訪地方で最初の水力発電所(1900年=明治33年)が砥川との合流点前につくられているでしょ。だから、この川にダムなんてとんでもない、と確信しました。

--ダムから岡谷市の水道問題へは、どのように入っていったのですか。

佐原:岡谷の水道水をダムから取る計画だと聞いて、市の水道部のデータから使用量や人口の経年変化をグラフ化してみたんです。水道計画では、人口は増加する、工場も増やす、水がさらに必要だから下諏訪ダムから日量1万トンを取る、となっている。ところがグラフで見ると、現状は人口は下がり使用量も下がる。それがダムの完成する年から突然、人口と使用量が上がる。そういう需要予測はおかしいのじゃないか。それで水道問題を書いた本を読み、著者の保屋野初子さんに分析してもらい講演していただいたところ、私たちの考えたことは間違っていなかったとわかりました。それで、1995年に結成した「岡谷の飲み水を考える会」で、ダムの利水問題を訴える運動をしていきました。

--ダム問題にかかわると、さまざまなことを勉強しなくてはならなくなりますね。

東俣川の本流・砥川の下流域。ダムによらない治水対策の一環として河川改修が行われた。(写真/保屋野初子)

東俣川の本流・砥川の下流域。ダムによらない治水対策の一環として河川改修が行われた。(写真/保屋野初子)

佐原:そう。地質の問題も大きかった。大阪市立大学の熊井久雄先生が来てくださり、ダムサイトの横坑に入って調べたり、県のボーリング図を先生が分析し講演していただいたところ、川底より地下水面が低いから「水漏れダムになる」と言うんです。この辺は中央構造線とフォッサマグナが通っていて断層が多い。岩に亀裂がたくさんあるから水が入っていってしまう。ともかく私の基本的な問題意識としては、自然環境を破壊してほしくないことと、岡谷に新たな水源は要らないということ、その2点でしたね。水道用水として岡谷に引いてきて供給するのに50~60億円かかるという試算がありました。当時、岡谷市の水道事業費が年間10億円なんです。そうすると水道料金が2倍くらいに上がるんじゃないかと。もしダムができていたら、今ごろ岡谷市民は水道料金の値上げに遭ってましたよ。今でさえ、日量3万2000トンの配水能力に対して最大の日でも2万3000トン使っているだけ。しかも毎年減り続けている。だから、ダムをつくらなくて本当によかった。

--今年は御柱祭の年でしたが、佐原さんも4月の山出しには参加されたのですか。

佐原:いえ、私は以前に里曳きで綱を引っ張ったことがあるくらいです。

--私は山出しで半日ほど綱を引かせてもらったのですが、東俣川の清冽な雪どけ水の瀬音を聞きながら山道をみんなで掛け声とともに曳いていくのは、感動的でした。

御柱の山出し風景(写真/保屋野初子)

御柱の山出し風景(写真/保屋野初子)

佐原:ダムであの道が水没して上に新しく付け替えたとしたら、そんなところを曳いてもおもしろくないわよね。今のあの環境の中で、山出しも生きていると思う。東俣川の水量・水質も、全体の景観も、御柱が出てくる山の状態も、すべてが今のようにそろっていることが重要ですよ。あのあたりは東俣国有林で天然の広葉樹がまだ残ってはいるんですが、だいぶ伐採されてしまい、かなりカラマツが多くなってしまいました。それでも、上流部は大きな岩のある渓流、自然林に近い森林が残っていて、自然の治水効果という面ですごくいい条件がそろっています。

--そういう価値を持った場所だということを、どうやって一般の人たちに知ってもらうことができると思いますか。

佐原:ダム反対運動のときやったことですが、現地で何度も観察会を催して人を集め、実感してもらうことが一番だと思いますね。運動では署名活動、水道計画の問題、ダム水のトリハロメタン問題などを訴えましたが、それと同時に現地にも行きました。

--運動ではあらゆる活動をやっていましたね。

佐原:そうですね。下諏訪の反対運動メンバーが中心となり、『とがわ新聞』(1994年12月6日~2002年7月)を発行して、みんなでダム問題の解説や意見をどんどん書いて無料で配りました。この、住民に対する広報の力は大きかったですね。下諏訪町のメンバーは手渡しやポスティングで全戸配布してましたが、岡谷ではそこまでできないので団地とか主だった地区を中心に配りました。下諏訪の人にも応援を頼んで10人くらいで日曜日に集合時間を決めて集まって、雪の日も暑いときも。よくやりました。くたびれて本当はもう出たくなかった日もあったわね。でも、人に頼んでいるから、私が動かなきゃと思って。

--ほかの町民、市民の人たちは、結果としてダム中止のメリットを受けたと思うんですが、どう思っているのでしょう。

佐原:どこまでわかってくれたかなあ、と思います。ダム計画の手続きの中に、つくることによって失われるもののことを織り込んでいないですから、なかなかわからなかったのでしょう。

--ダムの問題を生物多様性とか、生態系サービスとの関係で考えたりすることはありましたか。

佐原:ダムができればもちろん、生物多様性はかなり減少してしまうし、水質も変わるから水生生物も変わってしまう。ダムがなくても今、海外から帰化する動植物の影響がとても大きいでしょう。この地域で一番目立つのは、諏訪湖のブラックバス、ブルーギル。それがエビとかワカサギなど漁業資源を食べてしまうことです。生態系サービスで考えるとは?

--生物多様性があることによって人間にもたらされる恩恵のことを生態系サービスと言って、基盤サービス、供給サービス、調整サービス、それから文化的サービスの4つに分類されています。そういう見方をした場合、ダムをつくる・つくらないというのは、どういう解釈ができるだろうか、という意味です。

佐原:そういうふうに分けて考えてはいない。総体的、全体的に大切だと思うだけです。子どものころに山を見て森を見て素敵だなって思う、そこが出発点ではないかな。そういう感性というか感受性が一番もとになっているのではないかなと思うんです。あまり理屈ばかりで言っていくとむなしくなるので(笑)。人を論理的に説得することも必要だと思うけれど、もっと感覚的にわかってもらえたらうれしいんですが。

--ダム反対、公共事業は問題、という対抗運動だけでは疲れますよね。

佐原:そうですね。観察会みたいなところにはもっと親子連れで来るかもしれない。ダムでも水でも、本当に身近な問題が起きたときに、関心を持つ人は増えます。自分の問題として捉えられた人は。今、「環境会議・諏訪」では茅野方面で会員が増えています。あそこは今、カラマツストーブの普及とか森の手入れなどをやっているからでしょう。月に1度発行する『環境会議通信』に、昔の人の生活とかお百姓のこと、森の話、温暖化のことなど、さまざまなテーマでの連載記事があるんです。結局は、ほんとうの循環する社会、循環する生活というものを大切にする、ということだと思うのね。薪ストーブはエネルギーの地産地消だし、それで森も復活させようとか、水路で小さなマイクロ水力発電をして電気を起こそうとか、いろいろなテーマがあるわけです。茅野市にも県の蓼科ダム計画がありましたが、反対運動の結果中止されて、その跡地にトラストで植えた木が育っている。それを、植物の遷移の見本として、野外の自然博物館ができるのじゃないかという話も出ています。

--運動という発想だけでなくて、楽しみながら学び合っていくというような・・・・・・。自然保護運動も転機にきているということでしょうか。佐原さんはどれくらい自然保護運動にかかわってこれられましたか。

佐原:大学生のころから、40年(笑)。そう、自然保護運動から環境保全運動になって、これからは、なんて言うんでしょう、よりよい環境をつくる運動……。

--環境創成のようなイメージでしょうか。

佐原:そうですね。

(2010年5月10日、御柱祭里曳きの最終日に下諏訪町にて。聞き手・保屋野初子)

佐原 香 さん

(さはら・かおる)/岡谷市在住。「環境会議・諏訪」メンバー。

元日本自然保護協会職員。ビーナスライン美ヶ原線建設反対運動のころより自然保護運動に携わり、結婚して岡谷市に住み諏訪一円の開発阻止に仲間とともに取り組み、数々の成果を上げてきた。

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