くらしと自然のつながり再発見!

自然の恵み・インタビュー 青田 昌秋 さん

生きものの豊かさと人の琴線にふれる周期、
流氷の魅力は実感できる“変化”にある

流氷とオオワシ(写真/青田昌秋)

流氷とオオワシ(写真/青田昌秋)

--オホーツク海の恵みにとって最大の貢献者は、やはりアムール川ですか。

青田所長と北極圏図

青田所長と北極圏図

青田:はい。オホーツク海の周囲にはあまり大きな川はないのですが、唯一、ロシア極東を流れるアムール川が膨大な量の真水をオホーツク海に注いでいます。そのために海水の上層50~60mくらいは塩分の薄い層ができ、冬のシベリア下ろしに冷やされて結氷温度の-1.8℃に近づきます。冷やされた表面の海水は重くなり対流を起こしながら冷えていくので、海は深いほど凍りにくいことになります。オホーツク海では50~60mより下の塩分濃度との差が大きく上下に混じり合わないために、水深約50mの浅い海と考えていいのです。と同時に、アムール川は陸地からの栄養分を豊富に海中に供給しています。まさにオホーツク海の巨大な魚つき林がアムール川流域。昔、日本人は地元の魚つき林を大事にしましたが、それが国境を越えて言えることが分かってきました。

--流氷のはたらきも、より分かるようになったのですか。

青田:流氷が融ける時あるいは海水が冷える時に海の中で水の上下の循環が起こりやすくなり、アムール川からオホーツク海に入り下に沈んでいた栄養分を浮き上がらせるはたらきがあることが分かりました。また流氷は、植物プランクトン、特に珪藻類を付着させて移動する「運び屋」の役割もするんです。オホーツク海の北側の浅い海で育った植物プランクトンを氷の底にくっつけたまま風で動いていきます。最近、オホーツク海の、鉄分をはじめ多くの栄養分を含む水が北太平洋へ流出して豊かな漁場形成に貢献していることも明らかになりました。

--ご著書『白い海、凍る海 オホーツク海のふしぎ』には、海洋の地球規模の大循環、中循環、小循環、そういったものがあることによって、生物が再生産されたりしているという解説がありますね。

青田:知床が世界遺産になった一番の理由は「海と陸との連環」でしょう。氷の下に植物プランクトンが発生する、動物プランクトンが食べる、それを小さな魚が食べる。植物プランクトンが沈んでいくと光合成ができないから死ぬ。その死骸を待っている連中がいる。底生生物、貝もホタテも・・・・・・というように。陸では、川に戻ってきたサケをクマが食べ、その糞が森林を育てる。豊かな山地から栄養分が川に流れ込み海に至る・・・。海の生態系と山での生態系が非常にうまくつながってこの生きものの世界をつくっている、ということで世界遺産になっているらしいです。

--海の中がそういうふうに見えてきたのは最近のことですか。

冬の紋別港と町並み

冬の紋別港と町並み

青田:流氷に関してはそんなに古くない。わが国で氷の中の植物プランクトンを本格的に調べ始めたのは40年前くらいでしょう。国立極地研究所*の研究者が南極周辺の海との比較研究から、オホーツク海の氷を切ってその中にどれくらいプランクトンがいるかを調べたのが始まりです。今、漁師さんたちが気にしているのは、潮流つまり海水の交替のことだと思います。ここには宗谷暖流という対馬暖流の尻尾にあたる暖流が日本海から宗谷海峡を回り込んで来ているんですが、海岸にへばりついて北から南、稚内から網走の方へ流れていく。その暖流と沖合いのオホーツク海固有の寒流(東樺太海流)がせめぎ合っている。僕の研究がそれだったんです。漁業は沖合60kmくらいの範囲で行われていますから、僕の研究の場と漁師さんたちの稼ぎの場とが重なっていた。潮の変わり目、潮目にサンマが乗ってきて紋別港で手づかみで獲れた時代もあったのが獲れなくなったり、鮭はベーリング海からアラスカを回って帰って来る魚ですから潮が変わるとどうなるかとか、漁と海流の動きとは切り離せない。そしてここでは、循環の根底に植物プランクトンを育てる流氷の存在があるということです。

--漁師さんたちはだいぶ勉強されていますね。

海の幸の寒風干し

海の幸の寒風干し

青田:僕が初めて流氷を見に来た昭和40年(1965年)ごろは、浜で「流氷早期退散祈願祭」というのをやってたんです。当時、漁師さんたちは冬に出稼ぎに行ってましたから。今は「早期到来祈願祭」になりましたが(笑)。当時は海に出れば獲り放題だったので、流氷が多少その邪魔をして資源保護のお手伝いをしてくれていたのですね。意識が変わったのはこの20年くらいじゃないでしょうか。20年くらい前、僕が「流氷が減っているぞ」と言った。漁獲との関係は定量的にはよく分からないけど、流氷は漁とのバランスを保っている、いい面もあるんだぞと主張し続けている。今どきは、漁師さんたち自身が流氷の多い年はホタテの実入りがいいという言葉を使うんです。よく変わってくれたなという気がします。

--紋別にはいつごろいらっしゃったのですか。

青田:45年前。北海道大学低温科学研究所の一員としてレーダーを設置して流氷の動きを調べ、一般にも通報しました。だから漁師さんたちと仲良くやってきました。積極的に流氷のデータを提供したり、漁船に乗せてもらって海洋観測に行ったりと、お世話になっていた。でも、僕のテーマである海流のことを言っても、あまり関心は得られなかった。それが、1983年にサハリン沖で大韓航空機撃墜事件が起こり、海流がこうだからこっちに漂流物が来ると言ってたら本当に来て、ようやく僕のテーマである宗谷暖流が市民権を得たという皮肉な経緯がありました。

--流氷研究にはどんな魅力がありましたか。

青田:海の魅力は広大さですが、最大の魅力は変化のさまだと思います。水が固体に変わる流氷の魅力。もう一つは青い海が白く変わる、それがまた青くなる。1年周期という変化の早さだと思うんです。それが人の心の琴線に触れるというか、よく共鳴する。たかだか60?70年の人間の寿命に合った周期を見せる海の変化が、氷の海だと思うんですよ。だから「ずっと座って見ていてごらん。今に流れて行くよ」と話す。そういう世界を見せてくれるのは流氷が一番だと思います。自分の生き様と比較できるようなスケール、という感じですね。

--だから文化になり得る要素が強いんですね。

流氷観光船ガリンコ号から見える青い海

流氷観光船ガリンコ号から見える青い海

青田:大正時代、今鴎昇(こん おうしょう)という人が「流氷や旅びとだけに美しき」という句を残しています。流氷は旅人の自分にだけは美しいけれど、漁師さんには厳しいんだろうなという感慨で、そういう時代がずっと続いてきたんです。でも今や漁師さんも「俺にとっても美しく大切なもの」と言えるようになったのが、時代が変わったところですね。

--最大の心配ごとは何ですか。

青田:皆さんが太平洋を見て暮らしても、海が変わっていくことには気がつかない。でも冬にここに来たら本当は白い海のはずなのに一面の青い海が広がっている。流氷が我々に、海が変わっていることを端的に見せつけてくれているぞ、ということを知ってほしいんです。身近な自然の変化に気づかない、驚かなくなる鈍感さが一番怖い。知識の“地産地消”がなくなるということが。

--食べ物の地産地消を強く提唱されていますね。

青田:漁業にも農業にも地産地消がないとダメだと思うんです。僕らはサケが川に上っていくのを見ることができるのに獲ることはできない。川に遡るサケを獲ることは違法行為、密漁になるんです。子どもたちもそれを知っていて獲らない。そうやって地域の人たちが陸で資源を守ることで海を守っている。ですから本来、その地域の人たちがその海で獲れた魚を食べる喜びを得られなくちゃいかんです。漁船が出て行く時、あのおじさんたちは僕らが川を守っているから、おいしい魚を獲って来るんだ。その魚を、お母さんが市場で買って来て腕を奮う。こんなにおいしいものがあるんだからここに住もう、と。それが地産地消だと思うんです。ふるさとの人々は、海の幸を得る仕事を漁師さんというプロフェッショナルに託している。農業も同じ。大地の幸を得る仕事を、畑のプロフェッショナルである農家に託している。いまこそ、海は誰のものか、大地は誰のものかをみんなで考え直し守っていくことが、地球を救うことにつながると思います。

(2010年2月27日、北海道立流氷科学センターにて。聞き手・保屋野初子)

国立極地研究所は、極地に関する科学の総合研究と極地観測の推進を目的に1973年の設置以来、南極観測事業の中核的実施機関としての役割を担い、2004年には大学共同利用機関法人、情報・システム研究機構の構成研究所となった
青田 昌秋 さん

(あおた・まさあき)/オホーツク流氷科学センター所長

1938年長崎県生まれ、北海道大学理学部卒。同大低温科学研究所流氷研究施設助手、同大教授、研究施設第三代所長を経て現在北海道立オホーツク流氷科学センター所長。北海道地球温暖化防止活動推進員、北海道大学名誉教授。著書に『白い海、凍る海―オホーツク海の不思議―』(東海大学出版)など。

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