くらしと自然のつながり再発見!

自然の恵み・インタビュー 片岡 継雄さん

生薬生産に心を合わせ、
少しは貧しくても「みんなヒューマンに生きていこうや」

片岡さんとミシマサイコ畑

--ヒューマンライフ土佐は、いま組合員が何軒くらい加入し、どんな種類の生薬を扱っていますか。

片岡:生産農家は250軒くらいで、作っているのは……ミシマサイコがあり、サンショウがあり、ダイダイ、シャクヤク。ちょうどいまトウキの種取りをやりよる。これから開発していこうというのが、ツリバリカズラ、チュウトウコウ、クチナシ、それからトチュウ、クヌギ、マダケ。コメとお茶は今年から出し始めた。みんな漢方薬になるよ。

--生薬栽培を農事組合(注1)で始めた経緯は、どういうものだったのですか。

片岡:ミシマサイコを始めたのは農事組合をつくる前からで、もう25年くらい前になるぞ。最初は(株)ツムラが町役場に「ミシマサイコという薬草があるんが、つくってみませんか」と言うてきたというんで、私もそういうことに関心があったもんだから、試しに1反歩(10a)くらいつくってみなさいということで始めたです。たしか昭和61年(1986年)やった。最初の年の収穫はね、1反で(生薬になる根の生産量は)1キロくらい。可哀そうなくらいよ。それからだんだん収量上がって行き出して、ツムラとの契約栽培でずっと全量を買い取ってもらっとる。
平成2年(1990年)に農事組合法人化する前は、生産組合にしとった。金が残って仕方なかったから、そういうときに無駄遣いをせずお金を貯めて、加工場は自分で機械の配置なんかを設計して節約して建てた。そんとき補助金なんかもらっておったらやね、法人化した後に全部返済せにゃいかん。そやから自己資金でな。この倉庫は農水省の補助金もらいましたが。法人化する前の組合のときから総会やってみな公開して、法人化してからはもっと徹底してやってます。越知町(注2)で生薬を作っている農家の生産物は全部ヒューマンライフに来よります。

--ミシマサイコの収量はどうやって上げていったのですか。

片岡:一番よかったことは、いわゆる摘芯(てきしん)という作業をやったこと。茎が大きくなったら絶えず切って、そのことによって根っこが大きくなって、ものすごい増収が実現していったわけです。それで今は(1反歩あたり)40キロくらい、ええ時は80キロくらい行っちょったが、減農薬で下がっちゅるですね。会社(ツムラ)の意向として農薬はあまり使わないでくれということで。ただ、手取りはそんなに変わらないがね。

--ミシマサイコは、この地域に自生していたものではなかったのですか。

片岡:そうではない。高知県内にもところどころに野生のサイコはありますよ。けれども最初から種はツムラからいただいている。今は種も採って全量をツムラに売ります。それをまたツムラから支給されるですが、最近は高知県内や四国の産地へはここ(ヒューマンライフ土佐)から、指示に従って直接配布しよります。
今は、(ミシマサイコの需要が増えて)根も種も不足しておるような状況ですね。サイコは根、種とも年にだいたい12~13トンを売るので収益がいいです。今年あたりの組合の総売上は2億円ちょっとくらいになるんと違うかの。平成6年(1994年)までは5億あったんですがね、(小柴胡湯の副作用が出たために)作付面積が減って。また、だんだん元に戻ってきよるけね。

--サンショウを始めたいきさつは?

接ぎ木したサンショウ(山椒)

片岡:最初からつくるつもりはあったんだけどね、サンショウのことが分からんから、和歌山やいろんなところへ勉強に行って、ごく最近、育てていく技術とかを確立しました。
私自身がミカン農家やって温州ミカンが売れんようなって大失敗したもんですから、別の品種に接ぎ替えてみたんですね。ミカンは台木にした品種の味が出てくるという経験をしとったもんですから、サンショウも同じミカン科ですからね。フユサンショウの台木に接ぐことによって樹勢がよくなる。立派な実がやね、数多く付くわけですよ。多いものだと(1本の木に)サンショウの実の房が100以上できるよね。6年くらい前に始めていまどんどん増えておるんですわ。

横畠集落で栽培しているショウガ

--高知ではサイコやサンショウがよく育つということですか。

片岡:そうですね、よーお育ちますねえ。今日一緒に行った標高1000m 近いところでつくっている薬木の森では、クヌギがいちばん合っているからクヌギをたくさん植えてます。法人の利益で荒れた山を買い取って、生薬の畑や薬木の森にしてツムラの協力でいろいろなものを実験的につくって楽しませてもらってます(注3)。
クヌギは皮の部分が生薬になって、皮を剥いだ後の裸木は薪ストーブのいい薪になる。今度農協から買い取った茶工場の乾燥機にかければ、皮が瞬間的にぱっとめくれるけやね。皮も木も売れて、これで一旗揚げられる(笑)。木のほうは節が入らんようにきれいに育てればお墓に立てる卒塔婆にもなる。いまはヒノキでつくられておるが、本来、卒塔婆は腐りやすい木でつくるもんです。それに、子どもたちのカブトムシのためにもクヌギはええ。

--そういう意味では、越知には標高100m台から1000m台まであって、垂直にいろいろな種類を植えられるということですね。

片岡:だから牧野富太郎博士が横倉山にあれだけ植物があると発見できたのでしょう。

越知町 鳥瞰

--今日見せてもらった斜面のミシマサイコの畑は、もともとは棚田ですか。

片岡:あれは全部田んぼでした。今の農政では転作しても(中山間地は)直接支払い制度でお金もらえるんです。2haで40万円くらい。だから、100%とは行かんですけど、たいがい90%くらいは耕作してるようです。サイコやサンショウができたり、ほかにもいろんな作物がある。こういう山の斜面だと風が出て、作物の露が早く抜ける。湿気があると人間もそうですが病気が出やすいが、ここは出にくい。高知は、6月、7月、9月はわりとからっとしていて、降るときは一気に降って一気に晴れるんです。今日夕方に行った横畠(集落)は、冬になるとここ(低地)とちょうど2℃違うんです。あそこは夕方になるといっつも風があるね。下に仁淀川がSの字になっちょって(横畠のある斜面を)両側から挟む格好になっちょる。サイコには最適な場所や。

--サイコは連作障害は出ますか。

片岡:ありますね。あそこはショウガづくりに長い歴史があって、ショウガと輪作する薬草は収量がうんと上がるんです。だからサイコや小豆やサンショウも始めたが、いろんな作物を隣り合わせでつくっとる。その上のほうの斜面にはお茶があるんですが、今年からそれも買い取るようにしました。会社(ツムラが)あれつくってくれ、これ買いなさい言うろ。いま来ている注文は12品目。ていうのは、農家の顔が見えないというのが今の生薬の原料になっている。ほかの産物と同じように、それ以上に、農家の顔が見える産物にしたいということもあって、ヒューマンライフは信頼も置けるし、お願いしたらどうかということになってきたんでしょう。これまで大きな百姓がいいとされていたけど、今んなってくると、やっぱり生産者が責任を持てる品物ね、そういうものが求められるね。

--このあたりの農家にとって生薬栽培はどれくらいの比重があるのですか。

片岡:1軒あたりの耕地面積は飛びぬけて多い人で2町歩(ha)くらい、平均したら7~8反歩でしょう。それがまた段々畑ですけどね、けっこう活用してロスがない。段々畑でも農道もちゃんと整備してトラクター着けてね。家もそんなに古びていないし、生活もみんながちゃんとしててね。私が言うのはね、雨戸や木の戸がサッシに変わったり、屋根替えができたり、家がきちっとしててやね、整備ができし出したら、農村が豊かになったんだと思いますと。
生薬とくにサイコは、長期的に(需要があって)絶対に必要なもので農家の利益も高い。重量も軽いから、高齢化が進んでる山間部でも取り扱いがしやすい。ここでは若い人も後を継いでいて、今は大部分が子どの代に変っている。ほかの仕事から戻ってきてやるのもいます。

--それはすごいですね。

片岡:いちばん大事なことはね、こういう薬草をつくることも大事ですけど、お互いの心が開けて共鳴しあってね、ツムラへ出すんじゃという、そういう一つの気持ちができてきたときに、品物が揃うということなんです。最初は、品物に異物がないか、(サイコの根の)切るところが浅いか深いか、毛根が余計ないか、そういうことを私は全部検品してたですけど、今は信頼ができたし量が多いけね、してないです。だいたいが二代目だから親から伝わってますわ。
ヒューマンライフをつくったときのスローガンが「みんなで生きていこうや」ということだった。少しは貧しいけど、みんなヒューマンだ、と。(みんな豊かになってきて)最近は「人の出会いは宝を運ぶ」というふうに言うことができるようになりましたね。

(2009年10月20日、越知町のヒューマンライフ土佐の倉庫にて 聞き手:保屋野初子)

(注1)農業協同組合法に基づいて設立する法人で、農業を自ら営む組合員が農業生産に関わる事業の協業を図ることによって共同の利益を増進することを目的とする。農業協同組合と異なり、農業に関する事業のみに限定されており、設立は行政庁に届け出るだけでよく認可は不要。株式会社に変更も可能。
(注2)愛媛県を源流とする仁淀川中流域、高知市からは北西30km余に位置する人口約7000弱の中山間地を抱える町。かつては松山街道の中継地として栄えた。町のシンボル的存在である標高約1000mの横倉山は植物学者・牧野富太郎の採取地として、また修験道、安徳天皇崩御伝説の山としても知られ親しまれている。
(注3)(株)ツムラでは、高知県・越知町・森林組合とともに越知町内で整備している針葉樹の森と、地域住民との交流を図る広葉樹や生薬栽培の森とを合わせて「協働の森」として森林整備に協力している。
片岡 継雄さん

(かたおかつぎお)/1936年生まれ。農事組合法人ヒューマンライフ土佐代表理事。

四国で3番目の大河・仁淀川中流域の高知県越知町に生まれ育つ。ミカン栽培農家だったが、柑橘類の輸入自由化のあおりを受け国産ミカンの収益が激減したことから、転作作物栽培を試行錯誤するなかでミシマサイコと出会い、安定的な栽培法を確立した。地域の農家全体が豊かになることを目指し1990年にヒューマンライフ土佐を設立し、発展的に推移し現在に至っている。

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