太か鮎はきれいか川が育つっと。

取材・文 保屋野初子 イラスト・さげさかのりこ

取材協力(方言校正含む):球磨川漁協の小鶴隆一郎・毛利正二、八代市坂本町の福島英治・上村信義・下村勉、人吉水産・山賀博子、より藤・頼藤小枝子、つる詳子、川口商店・川口豊美、釣り人のみなさん(敬称略)

球磨川の恵みっちゅえば、なんと言うても「尺鮎」たい。

今年ん春には164万尾の稚魚が海から上がって、ほかの川からや人工孵化のと合わせて270万尾くらいば球磨川全体に放流でけた。だいけん、6月1日の解禁日からよけい捕れて、漁師たちゃほくほくたい。人吉や八代の鮎問屋も「初日から全国に発送できるとは何年かぶり」と言いよらす。

シーズン初めから早かつはナワバリばつくってどんどん太うなるし、最盛期には30何センチのもんも上がるけん、「球磨川の尺鮎」て言われとるとです。同じ球磨川の鮎でん、支流の川辺川んとは背中がぐんと盛り上がって、きれいか水のよかコケ(珪藻)ば食べとるけん、腸(はらわた)まで澄んきった味で、そらあ旨かたい。川辺川の鮎しか引き取らん問屋もおる。「川辺川もダムができたら商売替えするよりなかと覚悟しとったが、できんでよかった。生き返った」と胸ばなでおろしよらす。

球磨川は下のほうからダムをつくりよったけん、鮎にとっちゃ致命的やった。昭和30年に大きか発電用の荒瀬ダムができて、春に仔鮎が海から戻って来てもダムより上には行けんごつなってだんだん減ってしもた。漁協が一番下の堰で仔鮎を掬い上げて放流しよるが、瀬や淵がのうなっとるけん追いつかん。そいでん、人が助けてやらんば、とっくに球磨川から鮎はおらんごつなっとる。魚道な? 少しは上がるばってん、下れんなら意味んなか。産卵時ん親も孵化した仔も発電タービンのほうに巻き込まれて、ほとんど生き残らん。
 
ダムがでくる前はそりゃあすごかった。春には川が真っ黒になるぐらい稚魚が上った。昔の坂本村(*)じゃ子どもから年寄りまで、誰でん川に出て捕りよった。舟からの刺し網、投網、タモ網、なんでん面白かごつ入って、子どもも学校が終わると川ん中で暗(くろ)なるまで鮎を捕まえよった。卸屋に持ってけば、けっこうな小遣い稼ぎになった。「製紙工場の給料よりよかったけん、勤めなんぞやめたかった」とみんな話しよる。だいけん、荒瀬ダム撤去が決まった時は「生きとるうちに昔の瀬がまた見られる」と喜んだんが、今ん知事になって、急にダムは撤去せんと覆しなはった。なんば考えとらすとか、ほんなこつ腹がたつ。
 
そんでも上流にダムん無か川辺川あるごつ尺鮎ば育つっと。山ば深うて陽射しが強うて水が澄んどるし、時には大水も出るから砂利も来て、川の泥も洗い流されてきれいかコケが生えるけん。今の川辺川を残すごつが、「球磨川の尺鮎」にとっちゃ最後の命綱。川の恵みははかりしれん。毎年何万の太公望が球磨川と鮎と格闘しに来らす。「川も鮎もすごいパワー。今度こそ尺鮎を釣りに来る」と、岩手県から釣り行脚しとる人が鮎宿で話しとった。鮎が元手の勘定と満足はどんくらいなっどか。川辺川を今よりよか川で残せば、球磨ん人も全国ん人ももっと豊かになっどばってんな。

(*合併で、現在八代市のため)

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