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「小笠原諸島の自然を考える」 空港建設計画をきっかけとして

1988.11.01
解説

会報『自然保護』No.318(1988年11月号)より転載


小笠原諸島は、その誕生以来の数百万年にわたって、多くの固有種が生息する貴重な自然環境を形成してきた。しかし、われわれ人間は定住してからのたった150年程の間に、その環境を急激に変化させてしまった。今年、島は返還20周年の節目を迎え、空港建設が具体化しつつある。計画は、初期段階から自然環境の保全を念頭におき、第二の白保(石垣島)とならないことが切望される。

小笠原諸島は東京より遥か南の太平洋上にある。その距離およそ1000km。それは30あまりの小島の群れであり、一番大きな父島でさえ23km2(石垣島の約10分の1)でしかない。フィリピンプレートと太平洋プレートのせめぎ合いで生じた海底火山が数百万年前に浮上し、ほんの少し海面に顔をだしたのだ。それらは誕生以来、日本本土やほかの大陸と地続きになることなく、伊豆小笠原海溝のまさに深淵にポツッと孤立し続けてきた島々である。

その小さな島々の自然は、ガラパゴス諸島やハワイ諸島の自然と比較されるほどの特異性を持っており、世界的に有名である。しかし、その自然は我々人間が上陸したときから急速に変化しはじめ、人間活動によっていくつかの固有生物がすでに絶滅し、現在もいくつかが絶滅に追いやられつつある状況である。今後人間は小笠原の自然とどのようにつきあったらよいのか、この機会を借りて検討し、その糸口をつかみたいと思う。

固有種の割合が高い特殊な生物構成

小笠原の島々に棲息する生物たちは全体として種類数が少ない。しかし、ほかの地域では見られない固有の動植物(固有種、固有亜種)の割合が非常に高く、反面、ほかの地域では普通に見ることができる生物群が欠落していたりする。

例をあげると、陸産哺乳類では、固有種のオガサワラオウコウモリがたった一種しか自然には生息しておらず、人間が住む前はネズミやウサギのような小型哺乳類さえいなかった。また繁殖記録がある陸鳥は、わずかに13種のみであり、うち10種が固有種としてメグロ、オガサワラマシコ、オガサワラガビチョウ、オガサワラカラスバトが記録されているが、残念なことにメグロ以外の3種はすでに絶滅している。

昆虫は少なくとも450種が棲息していて、そのうちオガサワラセセリやオガサワラシジミなど、固有種が全体の約3分の1を占めるという。カタツムリ等の陸産貝類いたっては分布する88種のうちの90%近くが固有種である。

これら動物たちをささえている森林、植物種についてはどうであろうか。小笠原諸島には400種あまりの維管束植物のうち、少なくともその30%以上は固有種として報告されている。一方では、誰にもなじみ深いどんぐりをつけるブナの仲間が全く存在していない等、小笠原の植物相は大陸に比べ特殊な構成になっている。

小笠原に生きるには3つの難条件がある

このように特異な小笠原の動植物相は、島々の地史的、地理的環境によって形成されてきたと考えられている。その地史的、地理的環境とは、動植物たちにとっては難関として例えることができるかも知れない。つまり、次の3つの難関をすべて突破してきた種だけが小笠原諸島に生きることを許されてきたのだ。

第1の難関は何百kmにも横たわる海である。この海を乗り越え、それも多くの場合、雌雄の2個体以上が同時期に小笠原諸島に到達せねばならないのだ。ほかの大陸と陸続きになったことがない島々なので、自力で長距離を泳ぐことも飛ぶこともできないものは流木などに乗って漂着しなければならない。並大抵の幸運では乗り越えるのが不可能な難関である。

第2の難関は、かつての棲息場所とは多少とも異なる環境にうまく順応していくことである。運良く小笠原に到達したとしても、その場にその動物が食糧とするものがなければならないし、その植物が根付ける環境がなければならないであろう。

そして第3、ときに変動する気候条件に耐えて繁殖することである。島々は小面積である。ゆえに、ちょっとした海流異変等で気候に劇的な変化が起こりやすい。島であるから生物たちの逃げ場所はほとんどない。それでも、繰り返される環境変動に耐え、いろいろな環境に適応し、大陸の仲間たちとは異なった進化の経路をたどらなければならない。

このように重なり合った条件が、小笠原の動植物相を特異な集まりにしてきたのである。

人間は数百万年の歴史を150年で急変させた

今から150年前に、前述の難関をすべて突破して、人間も小笠原諸島に生活しはじめた。がしかし、彼らがほかの動物たちと少々違っていたのは、ほかの動植物たちを一緒に連れてきたことと、自然状態では起こりようのない速度で周囲の環境を改変できる能力をも持ち合わせていたことだ。この違いは、小笠原に先住していた動植物にとって一大事であった。

人間が持ち込んだ動物は、家畜として移入された、ウシ、ブタ、ヤギをはじめ、養蜂のミツバチなどのほかに、船の食料等に付随して侵入したネズミ類、そして愛玩動物としてのイヌ、ネコなどがいる。これらはすべて先住していた動物たちに影響を与えた。特にネズミ類やネコたちは、先にあげた固有鳥類のうち、飛翔力の弱いオガサワラマシコや、オガサワラガビチョウの成長を食い殺し、卵やヒナを食べ、絶滅に追いやったと考えられている。また、野生化したヤギは、森林で芽生えや稚樹を食いつくし、いたるところで草原化・裸地化・土壌流出を引き起こした。これは植物にとって直接的な影響を強く与えた。

一方、移入された植物はどうであろうか。それらには、人間の足の裏などについて無意識に持ち込まれた雑草をはじめ、牧草、裸地被覆のための植物、そして果樹や建築材としての植林樹木などがある。このうち建築材として植林されたアカギは、もっとも自然植生に与える影響が大きかった。

アカギはさまざまな自然林の更新様式にうまく対応する旺盛な生命力と繁殖力を持ち合わせており、次々にその分布域を拡大していったため、一部ではすでに自然林に置き換わっている。固有種を含む自然林を構成する種にとっては直接的に成育を脅かす強敵であり、森林動物にとっては生息環境の破壊者ともいえるであろう。

これらの間接的な自然環境の改変以外に、人間生活に必須な畑作や薪炭材のための伐採、道路や家屋の建設のような直接的な自然への改変も当然行われてきた。また近年では一部愛好家による特定の固有動植物の乱獲もなされてきた。

これらの直接的な自然の改変はここに限らず日本本土や南西諸島などでも、問題になっているが、小笠原諸島が持つ自然環境が特異であるがゆえに、より深刻な問題となっている。

その一つは、ここで見かける生物の多くが固有種であることに関連する問題である。小笠原では、いたるところに固有種が生育しているため、あらゆる開発行為は、それらの個体群を一部にしろ破壊してきたはずである。元来が小さな島々であるから、当然、それぞれの種の個体数は大陸の種に比べ少ない。その小さな個体群で、多くの種たちが進化してきたのである。開発による個体数の急激な減少が固有種たちに与えた進化上の影響は計り知れないであろう。

もう一つの問題として、小笠原諸島が非常に小さな島々であるがゆえ、辛うじて成立していたコンパクトな生態系のバランスを、開発が容易に根底から変化させてきた可能性が考えられる。薪炭材や建築材として切り出した特定の樹種が担っていた生態系が十分に補われてきたとは思えない。すでに島々の生態系のバランスは失われているのかもしれない。

また忘れてならないのは、人間による自然の変化が非常に急速であったことである。つまり人間定住後の環境の変化は、小笠原諸島で何百万年もかけてゆっくりと進行してきた生物進化のタイムスケールに比べれば、100年あまりの、いってみればあっという間の出来事であった。したがって、この変化は今始まったばかりともいえ、小さな島々では、この先、その変化がさらに加速度的に起こっていくかもしれない。

今こそ、これまでの自然への接し方を再検討し、その変化の方向が少なくとも悪いほうに向かないよう、人間は慎重になるべきではないだろうか。しかし、残念ながら、現実は不毛の小島の群れを作りだす方向に向かっているかのように思えてならない。

懸案の空港建設地選定は慎重に

小笠原諸島返還20周年の今年、東京都は復帰以来、最大の懸案とされてきた小笠原の空港建設を1993年までに着工する方針を決め、また有力候補地として父島のすぐ北に位置する兄島を上げている。そしてこの12月には予定地を最終的に確定する方針であるという。

片道30時間の船便しかないこの離島にとって、突然の重病や大ケガのとき、速やかに本土の医療施設に移動できる飛行機の便ができることは生活上必要であろう。しかし、計画されている空港の規模やその候補地の検討は十分になされているのであろうか。

報道を見る限り、規模を決定しているのはもっぱら経済性であり、その結果兄島に候補地が絞られそうななりゆきである。確かに経済性は空港建設にとって重要な検討事項であるに違いない。しかし、同様に重要な検討事項として、小笠原諸島独特の自然があるはずだ。空港建設といえば広域にわたって植生を剥がしその森に住む動物種を絶滅させ、そして大規模な地形の改変によって周辺環境さえも変化させる行為である。

候補地の兄島は面積が父島の3分の1以下の小島であり、そこには、人間の手を逃れてきた数少ない自然、それもほかの地域には見ることのできないタイプのすばらしい森が広がっている。そしてその森の下には、ほかの地域では絶滅してしまった固有の陸産貝類の多くが辛うじて生き残っていることがわかっている。また、候補地は島の主稜線を含んでおり、工事域からの土砂流出による影響は小さな島の広域に及ぶであろう。同時に流れた土砂は海中公園に指定されている兄島瀬戸のサンゴ類の生存をも脅かす可能性がある。これらの問題の検討は十分にされてきたであろうか。

小笠原のような小さな島に空港を建設する場合、その場所と規模については、計画当初から、自然環境の保全も十分に考慮した検討が必要である。石垣島と同じてつを踏んではならない。

小笠原諸島の将来を思うとき人間が生物界の一員であるヒトとして振る舞うことが、そしてまた、ほかの生物達を多少ともコントロールできる能力に驕ることなく振る舞うことが、今、まさに望まれている気がするのだ。

少しの間、立ち止まって考えてみようではないか。小笠原諸島を。そこで生まれ育った子供達が、ふるさとと呼べる島々として、また世界的に貴重な生物達が住む島々として後世に残すために。

(川窪伸光/鹿児島大学理学部生物学教室)


小笠原略史
1543年以来、日本人、スペイン人などによって何度か位置を確認され、1675年、幕府が日本領を宣言した。1820年代にはアメリカが捕鯨基地として利用しはじめ、まもなく欧米人とハワイ原住民が定住。日本としては1876年(明治9年)から、本格的に開拓をスタート、年3回の定期航路が開かれた。
1944年(昭和19年)には父島に4348人、母島2109人、硫黄島・弟島ほかに1254人の計7711人が住むまでになったが、アメリカ軍によって強制疎開させられた。欧米系住民は1946年に帰島が許されたが、日系住民は1968年(昭和43年)の日本返還以降に帰島が始まった。現在、一般住民は父島と母島のみであり、欧米系住民・日系住民に加え、返還後に定住した新島民の約2000名が暮らしている。

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