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特集「生物多様性への道のり」その11 三国からの報告

2001.04.01
解説

村民の調査が開発の見直しの足掛かりに


「初めは望遠鏡をのぞいても木との区別がつかず、動いたとき初めて鳥が止まっているのがわかるあり様でした。そうやって観察を続けた夕方、山に西日が射してきたとき、何かの拍子に日射しを受けた鳥の後頭部が黄金色に光るのが見えたんです。まさにゴールデンイーグルでした」。ゴールデンイーグルはイヌワシの英名だ。

イヌワシ観察を始めたころの感動をこう語るのは、群馬県新治村でシイタケ栽培業を営む佐藤久治さんだ。以前は、畳一枚分もある大きな鳥が頭上を飛んでいるとは思ってもみなかった。佐藤さんが「新治村の自然を守る会」の仲間と猛禽類調査を始めたのは10年前の1991(平3)年のこと。当時、村には大資本によるスキー場開発計画が持ち上がっていた。それまで野生動物の観察とは無縁だった地元の人たちが、双眼鏡を手に立ち上がったのだ。日本自然保護協会との共同事業であったが、村人が主体的に取り組んだ調査活動だった。それがスキー場ばかりか、ダム開発までとび出した開発計画にストップをかけることになったのである。

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←イヌワシ、クマタカの行動圏であり、ダムの予定地があった谷。谷川連峰から連なる森林は、ツキノワグマ、ニホンザル、ニホンカモシカなど、さまざまな野生動物の生息地となっており、三国山脈はこれら野生動物の移動・交流のための回廊的役割を果たしている。


イヌワシが出現した日

三国山脈が北方に連なる新治村は三国街道沿いに古くから開け、人里と奥深い自然が解け合う。古い歴史をもつ法師温泉も、豊かな森に覆われた法師山のふもとに湧いている。三国山沿いの山々は一部植林された所を除き、ほとんどがブナやミズナラの自然林。ところが、村の北端位置する山の西面がスキー場として開発されることが1983(昭58)年、村議会で決定した。リゾート法にもとづき1988(昭63)年に県が「ぐんまりフレッシュ高原リゾート構想」の重点整備地区に指定した「三国高原猿が京スキー場(仮称)計画」だったのだ。さらに、林野庁による国有林内のリゾート計画「ヒューマン・グリーン・プラン」の候補地にも選ばれてしまった。

しかし計画地一帯は、上信越高原国立公園内にあり、しかも村の給水人口の約25%をまかなう水道道水源地で、水源涵養保安林(注)にも指定されている。この水源問題がことの発端となった。
(注)水源涵養保安林 国有林の保護林制度の一つで、水源の涵養を目的として指定される。森林の取り扱いに一定の制限が課せられる。

1990(平2)年、村の有志が「新治村の自然を守る会」を結成。法師温泉の一軒宿、長寿館主人の岡村興太郎さんが会長に就任した。会は計画の白紙撤回を求める要望書を村に提出し、事業者である国土計画㈱(当時)にも直接申し入れようと、メンバーたちはその年の暮れに上京し本社に赴いた。ところが会社側は会の人々に説明する間も与えず受け取りを拒否したのだ。門前払いされた面々はいったいどうしたものか困り果てた。翌日、皆で頭をひねった末に、思い立って自然保護協会の事務所を訪れる。これが当協会との最初の接点となったのだ。

協会担当者が話を聞いたところ、「ブナ林と水源」「リゾート開発とコクド」などのキーワードが続々出てくる。それは、当時力を入れて取り組んでいた問題だった。その場で早速、翌月の現地視察が決まった。翌一月、案内役として「守る会」の二人とジャーナリスト、そして協会の保護部長の横山隆一(当時)が新聞社のヘリコプターに乗り込んだ。快晴に恵まれ、ヘリが新治村上空、法師山西側の谷に達したとき、機体の下方にイヌワシが二羽ペアで飛行していた。そこがそのペアの行動圏であることを示す並列飛行だ。「イヌワシが開発の危機を救う力になる」と横山は確信した。

猛禽類プロジェクトがはじまった

1991(平3)年初頭というのは、秋田県田沢湖でJR東日本によるリゾート開発に対抗するため本格的な猛禽類調査がちょうど始まった頃だった(前項参照)。日本自然保護協会と日本イヌワシ研究会によって、日本で初めてイヌワシに関して科学的で大がかりな調査が行われようとしていた。横山はこの機をとらえ、新治村の「守る会」の人たちに「村民独自の調査団を結成して、水源とイヌワシの調査を始めよう」と促した。

「守る会」が改めて新治村調査団を結成したのは9月、日本自然保護協会との合同調査が本格的に始まったのが翌々年の1993年。1991年から1995 年までの5年間にのべ118日にわたり、のべ526人が調査に携わった。最後の九五年には第六期プロ・ナトゥーラ・ファンド((財)自然保護助成基金と日本自然保護協会の共同事業)の助成を受けて報告書をまとめた。

イヌワシの観察は繁殖期である冬から早春が中心となる。寒いなか、出てくるかどうかわからない姿を何時間も待ち続けるのはたいへんな忍耐だ。そのうえ、遠くを飛ぶイヌワシを見つけたら、翼の模様はどうか、欠けている羽がないか、顔が下を向いていたか、キョロキョロしていたか、など多くの項目を短時間にチェックしなければならない。鳥を見つけることはできても姿を追うのが精いっぱいだと全員が思った。

「でも、行動が予測できるようになるとだんだんに見えるようになるんです。ここでぐるぐると旋回し上昇気流に乗って上昇する、あっ、右に流れたから法師山に渡るなと思いつつ、どれどれ羽はどこか折れているかなと。で、キョロキョロしているから『斜面に突っ込むかもしれない』。急降下して突っ込んだあと、 4時間くらいして『あ、出てきた』とか。獲物のウサギを持っていたりします」

こう話す松井睦子さんは、近隣の沼田市から参加するひとりだ。新治村は沢が深く電話や無線が効かない。そのため移動する鳥の観察が途切れないよう中継の人を立て連係する。松井さんは「皆、ゼロからいっしょに始めた仲間だったから、あうんの呼吸で連係できた」と話す。

田沢湖で確立された「リゾート法に対抗しうる猛禽類調査」というツールの応用第1号になったのが新治村だった。田沢湖と比較すると、地形がより複雑なこと、九三年には同じく絶滅危惧種のクマタカも見つかりイヌワシに続きクマタカの調査も加えたことが大きな違いとなった。

調査の結果、次のことがわかった。「赤谷ペア」と名づけた2羽のイヌワシが生息し、1年を通じた行動圏は赤谷川上流域と西川上流域(ムタゴ沢と法師沢)の2地域にまたがり、その面積は7033haにおよぶこと。このつがいは、法師山西側にあたるムタゴ沢上流一帯を積雪期前期の重要な狩り場として利用していた。1993年から1995年まで繁殖と子育ては毎年成功したと推定された。

また、クマタカは法師山尾根で最も頻繁に確認された「法師山ペア」と、ほかに「吾妻耶山ペア」の2つがいが生息していた。法師山ペアの繁殖期の行動圏は法師山を中心に約2433ha。猛禽類の存在は生態系が豊であることを示すが、イヌワシとクマタカが同じ地域で住み分けているかわかってきた。

開発を止める武器となった

新治村の調査で評価されるのは、けっして専門家任せにせず、そこに住む住民自身が、自分たちが住む環境や問題を自ら調べながら認識していった点にあるだろう。

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←イヌワシ調査。繁殖期の1~4月の調査は刺激に敏感な猛禽類が営巣放棄しないよう細心の注意が払われた。一方、道路から調査をしていると通りがかりの人とコミュニケーションの機会にもなる。ある日おばあさんがこんな話をしてくれた。「伏せなさーい」とお姑さんの大きな声。大きな鳥にさわれてしまうかもと恐ろしかった。今でもいるのか、孫にも見せたいな」。

発端となった水源問題では、まだ決定もしていない開発のために良好な取水場所を村民の知らないうちに村が他に移動させていたことなどが、かえって村の人たちを発奮させた。さらに、村は、スキー場予定地の保安林解除のために第三セクターによる事業計画をつくり、その後、(株)コクドの単独事業に切り変えていた。これはおかしいと考えた「守る会」は結成以来、スキー場開発の危険を訴える専門家を招いてシンポジウムを開催したり、繰り返し関係者と話し合うなど、運動を展開した。

しかし、さらなる難題がおきた。建設省による川古ダムが、イヌワシの繁殖テリトリーの中核地域である赤谷川上流に計画されており、数年内に着工される予定だった。村は、守る会が日本自然保護協会と合同調査を行っていたさなか、別の団体にリゾート計画地の猛禽類調査を発注していた。「その調査報告は、観察内容は似ているが、『開発は問題なし』と結論づけていました。でも、自分たちで調べていなかったら、それがおかしいと気づかなかったかもしれません」とメンバーは言う。

「守る会」が行った観察記録は、集計や図示化までも自身の手でまとめられ、日本自然保護協会報告書第86号に結実した。 1999年12月、当協会の横山が説明役となり、村長はじめ村議会議員、課長クラス全員を前に、村役場でこの調査の報告を行った。その要点は、これら猛禽類が繁殖・生息するためには周辺に広大な自然林が必要で、とりわけ営巣地や狩り場などに利用する自然条件が整っていないと繁殖や子育てを放棄してしまうこと、周辺はすでに森林施業やスキー場開発がすすみ、こうした条件を満たす別の営巣地はない–といったことだった。

イヌワシ、クマタカの特に重要な行動範囲は、スキー場とダム開発の2つの計画予定地にみごとに重なっていた。村長らは、ここまで説明を聞いては見直しも仕方ないという反応だったという。報告書は、村長側にとっても過去の開発計画を見直すものとして有効に働いたのだった。

ここからがほんとの”村おこし”

この記事の取材にあたり新治村を訪れたとき、今はもう解散した元「守る会」の人々が、岡田洋一さんの金田屋旅館に集まってくれた。猛禽類調査の後、みなで暖をとりながら語り合った場所でもある。

「守る会」の発起人で事務局長を務めた岡田さんに、会の成功の秘訣を尋ねてみた。「強制でも仕事でもなく手弁当でやるんだから、楽しくやろうというのが合い言葉でした」という答えが笑顔とともに返ってきた。

調査は目を開かれることの連続だったと話すのは前出の松井さんだ。「イヌワシやクマタカはどんな林が好みなのかと考えると、それは猛禽類が捕る獲物が住む場所だとわかってきます。すると、それまで点で見ていたものが猛禽類の生活する面となり、さらに生き物の多様性の面へと広がっていった。そして、どうして大型猛禽類の存在で生態系のことが言えるのか、谷川連峰につながる三国山脈がどんな環境なのかまでも見えてくるのです。これは、守らなきゃいけないと」。

開発は免れたが、新治村の猛禽類の生息環境が以前よりも良くなったわけではない。残念なことに、1996年以降の繁殖状況ではペアの交代もあってイヌワシが4年連続して繁殖に失敗したことがわかっている。猛禽類調査は現在も、新しく結成された「猛禽類プロジェクト」の活動として続けられている。

森は猛禽類の餌になるウサギやヘビの生息地でもある。食物連鎖の頂点に立つ種を守るということは、まとまりのある大きな生態系そのものを守ること。そこから森と温泉との深いかかわりが見えた、と話すのは会長の岡村興太郎さん。「温泉は、雨が降りそれが地面にしみ込み地下で温められて湧いてきます。湧出までに長い時間がかりますが、河川や沢の水で3~10年、法師温泉では 45~55年もかかります。これは周囲に十分な保水能力が必要な証左なんです」。猛禽類調査とともに行った水源調査のトリチウム分析からわかったことだ。山には樹齢300年以上のブナをはじめとする豊かな落葉広葉樹の自然林が残っている。

「こんなに良好な自然を壊してまで、なぜスキー場をくつろうとしたのか」。佐藤さんは、スキー場計画も元をただせば村を活性化しようという思いだったに違いない、ただその方向が違ったのではないかと言う。

「大資本が入ると自然も人も食われてしまう。金は中央に吸い取られ、地域経済が壊れ、地縁が壊れ、昔から伝わる祭りや習慣までもが失われます。資本だけじゃありません。計画づくりを外に頼るのもよくない。村の計画は村民自身が考えなければ」。コンサルタントならぬ「コンサルタヌキ」が出てきて、日本中どこに行っても似たようなものが出来上がる、と岡田さん。

開発を食い止められたから活動は終わり、ではないと面々は言う。会は解散したが、まだマイナスがゼロになったところだ。これからはプラスにするために各人がしたいことを考える番だという。活動を通して培った行動力でそれぞれが核となり村おこしを考えようとしている。くらしやすい村をつくる、プラスに向かう自然保護活動は、今始まったばかりだ。

(島口まさの)

 


<コラム>

 

イヌワシやクマタカの舞う空を見たい

 

猛禽類の生態と生息状況
猛禽類は一般に、鳥や獣を補食することから、食物連鎖の頂点に立つ鳥として知られている。猛禽類がいるということは、そこには餌となるノウサギやヘビが、さらにたくさんのカエルや小鳥などの小動物、さらに無数の昆虫や微生物が生きている証だ。そして、猛禽類の存在が示すのは、多くの生き物たちがくらしている森林や草原といった、”まとまりのある自然”、その環境総体の質と量の豊かさでもある。猛禽類を保護するというのは、その「種」だけでなく、同時に猛禽が生息する生態系そのものを保護することになる。

 

多様な自然に生きるイヌワシ
イヌワシの翼は大きく長く、グライダーのように風や上昇気流を受けて飛行しながら、ノウサギ、ヤマドリ、ヘビなどの獲物を狩る。葉や枝が繁った森の中は苦手なので、餌動物のすむ森林の中の草地、小規模な伐採地などで狩りをする。巣をかけるのは、おもに切り立った崖の岩棚で、木の枝を積み上げてつくる巣は、直径は約1.5~2.5mになる営巣地は、餌が豊富な狩り場が近くに十分あることも必要条件になる。1年を通した行動圏は、このような営巣地を中心に、季節ごとに使い分ける数カ所の狩り場、移動のための上昇地点、休息場所などから構成され、時には3万haにも達する。各種の調査によると、全国で確認されているのは約170ペア。繁殖成功率の全国平均は10年間で急激に悪化し、98年現在、23%にまで落ち込んでいるとされる。

 

豊かな森の象徴、クマタカ
クマタカの翼は、イヌワシに比べると短くて幅広く森の中を自由に飛ぶのに適している。餌は、森にすむあらゆる小動物。巣は、大木の樹上に木の枝を組み合わせたもので直径約1.5~2m。営巣地に選ぶのは複雑で急峻な谷底近くが多く、こうした地形でかつ大きな巣を支えられる大木がまとまって生えている場所は少ない。クマタカのペアは、営巣地を一度決めるとほどんど変えないので、そこが何らかの理由で使用でききなくなっても、繁殖せずに暮らすといわれる。非常に警戒心が強く、子育ての時期にはちょっとしたことで巣を放棄してしまう。イヌワシと比べると生息数が多いと考えられているが、広島などでの繁殖率は96年までの15年間でイヌワシと同程度まで低下している。

(島口まさの)

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